【 恐山なるほど出張旅行記 】 

*********** 永井語録秘話「今と言ったら今なんだよ!」はどこから来たのか? **********


6月13日月曜日 午前9時前 三沢空港上空。

この時期の下北半島は 特有の霧の影響で窓の外は真っ白で何も見えない。

全国的に入梅をしている今 朝の羽田空港はあちらこちらで
欠航の案内のアナウンスが飛び交っていた。

三沢行きについても搭乗前から
着陸できない可能性を含んでのフライトであることは知らされていた。

しかし クライアントとの約束の予定を
今日 午前中に入れている私たちは今更 陸路に変更は出来ない。

「 只今 着陸するかどうかを判断しております・・・着陸が難しい場合は 
 羽田に引き返すことになります・・・・ 」
と 機内アナウンスがあった直後
私は ふと 窓際の席の永井氏に目を遣った。

すると 真一文字に閉じた口の端に力を入れた氏は
じっと前方を凝視したまま 両膝のあたりで拳をギュッと握り締め例のごとく 
その拳を開いたり閉じたりを繰り返していた。

まもなく私の視線に気づいた氏は 私を見て ニヤリと笑った。

その視線は『 着陸させるもんね。』
と 言っていた。


飛行機は 一回のトライで無事着陸した。


ここ青森は 永井氏の故郷である。

2度目の訪問になる私は 今回 氏の故郷の地を訪ねることになっていた。

私は 今回の青森訪問で 氏が 常に言う「 今 といったら今動け! 」と
運命を切り開くための基本セオリーのルーツを肌で感じることになったのである・・・・
と書くと 少々大袈裟であるが

「 なるほど それがゆえに永井氏は 【 今 】というタイミングに
  執拗なほどに拘るのか・・・ 」

ということが 私の腑に落ちたのは事実である。

と書くと 小難しい生き方精神論を書くのかと思われそうだが
大丈夫である。

私は 難しい文章は書けない。
自分が書いていて自分が笑えないと仕事が出来ない体質である
だから きっと最後まで 真面目には書けない。



クライアントとの面会を終えて私たちは 永井氏の故郷に向かうことになった。


尻労 と書いて「 しつかり 」と読む氏の故郷は
文字面を見ると漢字を習いたての小学生が教室で聞くと面白がるだろう地名であるが
「 尻・・・腰 」を上げて「 しっかり 」「 労する・・・働く 」とは 
何とも氏が生まれた場所にはふさわしい様な気がして
はじめてその名を耳にした私はえらく納得した。


尻労は 四国生まれの私からするとえらく離れて日本地図の上の方にある。


もう少し知的な表現をするならば 本州の北東端 津軽海峡と太平洋に面している東通村にある。


村を代表する風景・・・いわゆる観光パンフレットに載る景色としては
日本地図で言うならば 本州の北の東の端の尖がった先の先「 尻屋崎 」で暮らす馬の放牧風景である。


この馬「 寒立馬 」と呼ばれ この地で今では20頭ほど放牧されているのであるが 大層寒さに強いという。

昔々 南武藩の時代に軍用馬として用いられていた南武馬を 昭和に入り
更に厳しい自然環境にも耐えられるように農耕馬として他品種と交配された馬で 
粗食と寒さに強いのが特徴だそう。


・・・などと氏から色々な故郷情報を聞きながら 私はレンタカーを運転している。


ふと気が付くと 三沢空港から出発して もう30分ぐらい走っているが
そう言えば すれ違った対向車が・・・ えっ?10台以下だわ・・・ ということに気付く。


ん?時刻は午前10時。


助手席に座る氏に訊く。

「 人 何で居ないの? 」

さっきから 氏は 大層調子良く「 演歌 青森の地名入りシリーズ 」を次から次へと歌い続けている。

ご機嫌声で答える。

「 そっ こんなものですよ。 」

「 青森県人はね良く働くから 四国人みたいに無駄に町をうろつかないんです。 」

「 ああ そうですか。 」

と 答えにならない返事を受けて 私はそれ以上聞くのをやめた。


しかし 大袈裟に言っているのではないのだ。

三沢空港から北 国道338号線を走ったことのある人はきっと
「 そうそうそうなんだよね。 」と言ってくれる筈である。


車が 走っていない。


人も 居ない。


時折 見える民家の軒先に洗濯物も干していない。


そう 私の住む四国松山では1キロ走らないうちに次から次に見える「 コンビニ 」がないことにも驚く。

たまに見つけるコンビにも 地元だけに展開している店舗なのか
店の名前が 全国版ではない。


人里と自然がはっきりと分かれている。


この時期の下北半島特有の乳白色の霧の中
車を運転していて見えるのは 緑 ただただ 緑。


北海道とは少し趣は違うが 遮る物が何もない大地。


信号も滅多にない。

雪よけの為に信号機が縦長に付いているのが 運転している私が認識できる唯一の変化。

運転者泣かせの単調な道である。


どれくらい走っただろう。

前に車が走っていると
どうしても抜きたくなってしまう衝動に駆られる癖を持つ私であるが
対向車はおろか 前を走る車がないのに加え
カーブもない直線道を行くこの行程は 
ドライバーに車を運転している意識をあまり感じさせない。


しかし 確実に私たちは 下北半島を北上して行った。


右手にいくつかの漁師町を過ぎて 
車は 太平洋沿いの国道338号線から東通村を行く248号線に入った。


しばらくすると いつしか 辺りから海の気配がなくなった。


山に入るわけでもないのに 木立に囲まれはじめる。


現れてきたのは
まるで車ごと過去に引き込まれててしまったかのような感覚にとらわれる
原生林の森であった。


私が『 この木は 何ですか? 』と聞く前に

「 これは ヒバです。 」と 氏が呟いた。


2斜線の道路を挟んで左右に林立するヒバの森の中
私たちは 車をとめてしばし休憩することになった。


車を走らせながら 後続車両の邪魔にならないように 車寄せのある場所を探していると


「 どうせ人も車も通りませんから その辺に停まりなさいよ。 」
と 氏が言う。 


そう言えば もうかれこれ30分ぐらい対向車とすれ違ったことがない。

後続車両も・・・ない。


「 バタンッ。 」

「 バタン。 」


車のドアを閉じる音が 森の中に吸い込まれた。


「 ほんと だれも いないし 何の気配もないね。 」と言うと

氏は「 そっ。 」当たり前のような顔をしている。

普通の森なら 人間の気配はなくても

鳥や猿や・・・動物の気配がするはずなのに・・・
それも・・・ない。


見渡す森の緑は 若葉だった頃がはるか遠い昔であったかのような
深遠な面持ちで艶やかに輝いている。 


「 この先に 本当に集落があるの? 」と聞くと

「 失敬な。 」と 短く言い
 氏は ひとつ大きく背伸びをした。


もう6月の半ばだと言うのに 裏地のついていない背広では風が通り肌寒い。

つま先の空いたヒールを履いてきたことを後悔するくらい 足元も冷える。

そう言えば さっき車から降りるまえに外気温をチェックすると12度だった。

おまけに風もあるから 体感温度はもう少し低いはずである。



でも 何だろう。


とてもすがすがしい気分である。


深呼吸してみよう。


何だろう。


超ウルトラ級で嗅覚の鋭い
街で生きるにはまことに不便な私の感覚が全開しても
安心して香ることが出来る空気の香り・・・


どこか 懐かしい 香りがする。


遠い昔の匂いがする・・・とでも言ったらいいのだろうか。


昔 と言ってもたかだか40年生きている私の認知する昔・・・
という そんな次元ではない。


空を見上げる氏に

「 ここには昔があるね。 」と言うと


車を挟んで向こうから


「 すごいでしょう・・・。

  そうかぁ・・・

  村上も それは分かるんだ。 」と返す。

「 ??? 」

「 貴女側の方の 林の向こうは 太平洋で砂丘なんですよ・・・。
  大昔・・そうだなぁ・・数千年前・・
  砂をかぶって埋もれていたヒバの林が
  数百年前に何かが起こって また自然に姿を現して来たんですよ。 」

「 ほう。

  半端な単位の変化ではないんだぁ・・・。 」

「 そう言うこと。

  まっ それからすれば 人間の営みなんて小さい・・・

  と言う訳です。 」


何十メートルの高さのあるヒバを 数千年かけて
砂丘から飛んできた砂が 毎日少しずつ埋めていった。

立ったままの姿で埋められたヒバは
立ち枯れるものあり 生き残る緑ありで

ある時の天変地異により
再び数百年かけてその姿を現したという・・・

とんでもない大きな時間の括りの単位で
変化を遂げている自然の営み・・・


古代にタイムスリップしたかのような 猿ヶ森である。


車に戻った氏は

寒がる私に
「 その貯めている脂肪を燃やしなさい。 」と言い

壮大な自然に感嘆している私に
「 だから北の自然は スケールが違うのです。 」
と 満足そうに呟いた。


猿ヶ森を抜けて県道248号線を30分くらい走ったところで

「 ここを右に行って下さい。 」と
さして目立つ標識もない何気ない交差点で氏は 右折を促した。


後で マップで確認すると ここは県道172号線・・・
いよいよ氏の故郷の地に近づいた。


しかし・・・まだ 林の中を走るばかり。


変わらない景色に 独りで運転して行くのであれば
だんだん不安になるだろう距離を走る。


道すがら氏が呟く。


「 昔は この辺りは畑がたくさんあって
  短い春から秋を惜しむように
  野菜が作られていたんだけどなぁ・・・

  今は もう 誰も何も作っていないねぇ。 」

「 ? 」と 言われても・・・
集落の跡すら見えないのに畑とは? と思っていると

「 この辺り・・今は立派な舗装道路が通って道も平らだけど
  昔 私が子供の頃は・・そうだなぁ50年・・
  ああ もう半世紀も昔のことだねぇ・・・

  急な山道だったんだけど・・
  みんな家から歩いて畑に作業に来ていたものですよ。 」


男性が漁に出掛けた後
女性たちは 畑作りに山道を越えて来ていたというが
それにしても しばらく車を走らせても集落が見えない・・・
ということは この距離を歩いていたということなの?


驚きを言葉にしようとした時 左手に自動販売機が見えた。


私は 叫んでしまった。

「 ああああーーーっつ!永井さぁーーん
  自動販売機だよぉーーーっっつ!

  よ・・よかったねぇーーーっつ。
  ほんとに よかったねぇーーーっつ!! 」


冷静に考えると 何が良いのか自分でもよく分からない。
それに『 ほんとうに 』まで付けてしまうほどとは?

が・・・人の住む気配がして何だか嬉しかった。


はしゃいで運転していると
突然 開けたように海辺の町が視界に広がった。


雑貨店があり 酒屋があり 民宿があり スナックまである。

船着場には 中小の漁船が停泊している。

郵便局の貯金を勧める古い旗が パタパタと海風にはためいているのが
何だか賑やかで嬉しく懐かしい気がした。


『 ここが氏の生まれた村かぁ・・・ 』と 思い たいそう弾んだ声で

「 やっとこさ 来たねぇ・・・。 」と 言うと

氏はさらりと答える。

「 まだ まだ 上に登ってくださいな。 」

『 えっ? まだなの? 』



指示された坂道は 私の運転技術では 1000cc車が精一杯です・・・と
いうレベルの細い車道であった。


集落から更に10分 のろのろと車を登らせていく。

こころは 『 まだ まだ ですかぁ・・・ 』の気分である。


クネクネ道を右に左に曲がり進むと しばらくして
突き当たりに お墓が見えた。


「 ここで 降ろしてくださいな。 」


どうやら ここは氏の両親が眠るお墓らしい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

辺りは いつしか霧雨に変わっていた。



さっさと車を降りて お墓に向かう永井氏。

ぬかるみ 砂利道にかかわらず 慣れた足取りで進む。

そりゃそうである。


私は スラックスの裾をたくし上げ
ぬかるみに ヒールが食い込むのと泥が散るのをを気にしながら
氏を追いかける。

追いついたら

既に お墓参りは終了していた。



永井氏のお墓参りは 簡単である。
「 爺さん 婆さん 忙しくて中々来れなくてごめんよ。
  俺 がんばって生きてっからね。
  じゃ 元気で。 」


「 えええええーーーっ?! なんでぇ〜〜? それで終わりぃ〜?? 」

「 海越え山越えじゃないけど・・・・

  はるばる時間とお金を掛けて東京からやって来ておいて
  言うことは たったそれだけ? 」

と 突っ込むと

「 じゃあ 何を言うんだい? 」とくる。


「 だからぁ・・・・ 」

「 だから 何だい? 」

「 だからぁ・・・
 
  会社を始めましたからよろしく繁盛しますようにっ。
  とかぁ・・・

  健康でいられますように見守ってくださいっ とか。
 
  ほらぁ・・・

  いろいろ・・・あるじゃない。 」


すると 氏は「 ぶふっはぁっつ! 」と笑い飛ばした。


「 あのね むらかみぃ。

  会社の繁盛は 自分達の日々の努力
  自分の健康は 自己管理の賜物

  自分の事は 自分でするっ。

  あの世の 爺ちゃんも婆ちゃんも自分たちのことで
  忙しいでしょうに。
  
  それに 爺ちゃんも婆ちゃんも
  商売繁盛を頼まれても
  会社なんてやったことないし・・・・

  会社の事情なんてわけ分かんないんだから
  言われても困るでしょう。

  私も 先祖が あの世のことを持ち出してきて

  清ぃ〜〜〜 どうにかしてくれぇ〜〜〜。

  って言われても困るもんね。

  この世はこの世
  あの世はあの世 

  それぞれ元気で 自己責任っ!てこと。 

  さぁっ アホな質問ばかりしないで

  私がいつも見ていた海に行くぞぉ。 」

と さっさと歩き始めた。



お墓の前に独り残された私は
ふと・・・・
お墓の中の皆々様が

「 ところで あんた だれ? 」

と 聞かれているような気がして・・・
こう 答えた。


「 はい。私は みなさまの子孫である永井氏と
  共に会社を経営しております村上と申します。

  時々 みなさまの子孫であります永井氏は
  私に理解不可能な先の話をしては 
  私が理解できないで 指示されたことに躊躇して
  グズグズしていると

  『 早く動けぇーーー! 』と
  まことに イライラされるのですが
  ひとつみなさまのお力添えをいただきまして

  気長にいろいろ教えてくれるように・・・
  お執り成しをお願い致しますっ。 」

と 声に出して 手を合わせお願いしてみた・・・


「 ・・・・・・・・・。 」

が 反応が ない。


そりゃ そうである。


氏の先祖なら きっと 同じ血が流れているだろうから

『 こいつ かなり トロイわ。
  こりゃ イライラもするわ。
 
  そりゃ 無理。 』

と 言われるだろう・・・。


そんなことを考えて ぼぉーっ としていると

向こうの方から
「 むらぁかぁみぃーーーーーーーっっつ!! 」
の 声が飛んで来た。


声の先に目を遣ると
先に車まで戻っていたはずの永井氏が引き返してきて・・・・


お墓の曲がり角で・・・・


仁王立ち

・・・していた。

おお こわっ!


『 ねぇっ。
  おたくの子孫 ちょっと怖いよぉ〜。 』

仕方ないやぁん。

だって わたし のんびりさんの 南の生まれだも〜ん!


永井氏の言う「私がいつも見ていた海」とは
高台にあるそこから坂を下りて車で1分もかからない場所にあった。


正面に荒波立つ太平洋 背景に山が迫るこの村は
人が「ここに住むぞ」と性根を据えてかからないと
途端に自然に飲み込まれてしまいそうな甘えを許さない厳しさがある。


6月の今は 路肩に草花の緑も見えるが
冬になると それこそ人の住む家の屋根に 赤や青の色を見るぐらいで
後は 空の鉛色と雪の白に覆われる。


雪は 今でこそ温暖化の影響であまり降らなくなったというがそれでも1メートルは積もる。


6月の今日も 灰色の空が広がるこの村は 夏でもすっきりと青空を臨むことは稀だという。


海岸際で車を降りた永井氏が呟く。

「 天気が回復したねぇ・・。 明るくなってきたよ。 」


永井氏につられて 空を振り仰いだ私は

「 んっ? これで 明るいの? 」と 思ったことをそのまま口にした。


四国で育った私からすると 長い間降り続いた雨がやっと上がり 
薄雲を通して陽の光を感じるくらいの照度でありそれでも何となく薄暗い。


納得できないでいる顔つきをしている私に氏は

「 ああ 村では これがいつもの良い天気。雨や雪が降らない日はいい天気。

  波が穏やかだったら これ幸い 漁に出られるからね。
  食べる為には それが何よりのこと。それ以上望んではいけません。 」


「 きびしいぃ・・・ですね。 」


そこまで言った永井氏は スタスタと村の海岸まで降りていく。

桜色のシャツを着た背中が 久し振りの帰郷に喜んでいた。


いつもぴかぴかに磨かれているR社の黒い革靴が
砂まみれになるのも気にしないで 海を目指して進んでいる。


村の海は周りを低い山に囲まれていて 小さなUの字型の入り江になっている。


と書くと のどかな海辺の景色を想像されそうであるが
海岸に打ち寄せられる波の高さは 入り江の中の波消しブロックなどもろともせず
ゆうに成人の身長を超えている。


確か・・・聞いている永井氏の子供の頃の遊びの中には・・・ 
海水浴 の3文字もあったような気がするのだが・・・


「 この海で 泳いだんですか? 」と尋ねると
「 そうだよ。 」と
さらりと答える。


波穏やかな瀬戸内の海を見て育った私にしてみれば
尻労の海は台風前の海と同じで 泳いでは危険とされるレベルである。


「 こりゃぁ いろんな意味で鍛えられる風土に育っとるわ。 」

と わざと私の故郷の言葉で 海に向かって大声で言うと

海風に逆らい無理してタバコに火をつけた永井氏は
どうだと言わんばかりに胸を張って見せた。


先ほどから海では ほうかむりをした中年の女性が
波が寄せて引く度に波際に駆け寄り 中腰になって何かを手繰り寄せるような動きを繰り返している。


永井氏に さっきから彼女は何をしているのかを尋ねると
海岸に打ち上げられた海藻を採っていているのだと返事が返ってきた。


昼間は 早朝から漁に出掛けて一仕事終えた男は身体を休め
女はその間に海藻を採ったり 内職をしたり 時間を惜しんで働くのだよ・・・とも加えた。


どうやら この村の人たちはみんな働き者らしい・・・。
私なら 間違いなく夫と一緒に昼寝してしまう・・・。


どれくらい そこに佇んでいただろう。


海藻採りに精を出す女性を遠く見つめながら
私たちはしばらく海風に吹かれていた。


ふと氏を見ると 話し掛けるのがためらわれる横顔をしていた。


両親が亡くなり 兄弟も離れたふるさとに寄せる思い・・・


元々北海道から移って来たという氏の父親が身を寄せたのが
母親の実家のあったこの地であった。


半世紀以上も前の下北半島は今よりさらに雪深い地で
何より稲作が出来ない暮らしは決して余裕があるものではなかった。


氏の村も海岸線の行き止まりの地に 迫る山と海の間の斜面を開拓し
細い道をつけ段々畑のように平らな地に住居を建て
およそ60戸の集落が肩を寄せ合って暮らしていた。


氏の言葉を借りて言うならば「 よそ者 」だった父親は
船大工として「 良い船 」を作ることが
漁業で命を繋いでいるこの集落で認められる唯一無二の手段であっただろうと言う。


5人兄弟の4番目に生まれた氏は 小さい頃から食が細く痩せていて
口数の少ない大人しい子供だったという。


上2人のお下がりの服を着て 黙って8つ上のお兄さんの後をついて遊んだそうである。

遊び場所と言えば裏の山とこの海。

そんな故郷に今は 誰もいない。

氏が4本目のタバコに火をつけたときに声を掛けてみた。


「 やっぱり 少しさみしいもの ですか・・ 」


すると、「 いいや 全く 」と 答えが返ってきた。


「 人の営みは変わるもの しかし この海と山は変わらないなぁ・・ 」


と言うと 故郷の海を背にして静かに車に向かって歩き始めた。


古く 室生犀星が「 故郷は遠きにありて思うものそして 哀しくうたうもの 」と言ったが
氏の場合は この感性とはまるで逆。


懐かしいけれど 執着はなし。
こだわりがないから さみしさもなし。

どんなにこころを覗いてみても 郷愁の「 憂える 」感情のかけらは見当たらなかった。


この方の「 ただ前を見るのみ 」の生き方の信条は 意識的に作り出されたものではいことが理解できた。


「 過去を振り返らない 」癖は徹底しているのが氏の特徴であることを私は知っていた。


ただ それは 情の深い人にありがちな「 振り返るとさみしいから 」
意識的に「 振り返らない 」ということに発するのかとも思ったが それはどうやら違った。


「 振り返る 」ことに「 意味がない 」=「 生産性がない 」ことを知っているから「 振り返らない 」のである。

「 振り返る 」こころのチャンネルを持っていないのである。


と書くと 非人情的なドライな人格に見えるが そうではない。


「 超 」がつくレベルで前向きなのである。


先に 車に乗り込んだ氏が遠くで叫んでいる。


おそらく「 はやく戻りなさい 次に行きますよ。 」と言っているのだろう。


私は慣れない小石混じりの海岸道を そろそろと しかしこころは駆け上がって行った。


車に乗り込み ギアをドライブに入れて5メートル走ったところで私の視界左に ふと 赤の色が目に入った。


海岸道を車で移動する人の目と 丁度同じ高さで咲いているこの花の名を
「 いったい 何の花ですか? 」と尋ねると、

「 これが ハマナスですよ。 」と答えが返ってきた。


ここからは 余談になるが・・・
氏が『 これが 』と言ったことにはちょっとした意味がある。


日頃 氏が口ずさむ北の演歌シリーズの歌の中に
何度となくこの『 ハマナス 』が出てくるので
常々 私は 氏に「 どんな花ですか? 」と聞いていたのである。


「 ああ これが ハマナス・・・ 」


私は エンジンを止めてしばらくその可憐な花を見入っていた。

露に濡れ冴え冴えと光る緑の葉を背景に
一際鮮やかな赤色を放つその花は 『 私は ここに咲く。 』と言っていた。


言葉なくじっと見つめる私に 氏が言った。

「 昔から 勝手にここに自生しているんです。 」

「 ふ〜ん・・・」

「 えらいのね。 」思わず出て来た言葉だった。


冬1メートルを越す雪の中でも命を繋ぎ
短いこの夏の日に 精一杯咲いている目の前の小さな自然が
今の私にはこたえた。


後で調べると バラ科のこの植物は 刺を持ち
本州中部から北の海岸の砂地を好んで自生する花で
春から夏にかけて 香りの強い五弁花を開くという。


どうやら 北をふるさとにする植物らしい。


なるほど だから 耐える北の女こころをうたう演歌に多く露出する訳ね・・・。


ふと 永井氏が車を降りて歌い始める。

「 ♪ 赤いハマナス咲くこの街で も一度会いたい・・・・・・
     はぐれカモメを 目で追いながら あなた呼んでる・・・ ♪」


おそらく 氏が生まれる前からこの場所で毎年決まったように花をつけているハマナス。


うたいながら 中腰になって持って来たデジカメを
縦や横に構えながら撮影する氏の背中が

「 ふるさと って言われても 別に特別な感傷は湧かないよ。 」と
さっき言ったのは 「 ちょっと嘘です ・・・ 」と言っているように見えた。


私も 自分の携帯電話のフォト機能で 1枚撮ってみた。


その絵を保存しようと「 ピッ ピッ 」とボタンを操作していると
子供がするように横から氏が私をつついてきた。


「 ほらほら 」と自分の映像を見せて 「 綺麗に撮れてるでしょ。 」と
眉山を上げて笑った。


確かに。


映像に 愛があった。


私は もう一度 さっき見た 尻労の村の海岸を振り返った。

坂の上から見ると広く全体が見渡せる。

強い海風に目を細める。

荒々しい高波が寄せる海。

人気のない海。

村の小さな入り江は 果てしなく広がる太平洋に向かい
精一杯手を広げているようにも見える。


ハマナスと同じように 「 俺は ここに 居る。」と言っているようにも思えた。
 

詩人の中村 草田男が詠った。

「 はまなすや 今も沖には未来あり 」

 
氏も 遠く 海を見ていた。


・・・・・ 沖には 何が見えますか? ・・・・・



再び 車に乗り込んだ私たちは 6月の半ばだというのに
車のヒーターをかけていた。


南国育ちの私が 自分の誕生月の6月に 肌寒い と感じたのは生まれてはじめてだった。


温かくなり始めた車内に 少しホッとした私は
ナビゲーションの次の目的地を 下北随一の観光名所 尻屋崎にセットして ハンドルを握った。


車は 氏の生まれた村を離れる前に 氏の生家の前の道を通る話になっていた。


今は氏の縁者の家の一部になっている生家は 車幅いっぱいの坂道を登ったところにあった。


車でゆっくり通り過ぎることにした。


「 ここが 私が生まれたところです・・・ 」

「 ああ そうなんですか・・・ 」

と 何気なく通り過ぎようとしたところ・・・・ 


むむむむぅぅぅぅ〜〜〜〜・・・・????


変!!!!!!


感覚が 変!!!!!


何なにぃ〜〜〜 これぇ〜〜〜 何ィ〜〜〜〜?????


私は この【 変 】 を突き止めるため すぐさま 車のギアをバックに入れた。


突然 車を後進させ始めた私に 何事かと慌てた氏が
「 な 何してるの 何してるの あなたァ――――? 」と叫ぶ。


氏の言葉など無視。


思ったところまでバックした私は
もう一度・・・
門の前を そろり そろり と


す・ぎ・る・・・・


やっぱり 変〜〜〜〜!!!!!!


車がある位置にさしかかったところで


「 ああ ここが 変ん〜〜〜〜!!!!! 」


私は 狭い車内で叫んだ。


「 何がですかァ――――!! 」氏の怒り声も 再び無視。


【 ここ 】とは 家に向かって敷地左の この【 木 】の立っているところである。


みなさん・・・。
読んでも 笑わないで欲しい。


真面目に言う。

木が 【 熱い 】のである。

いいや もう少し詳しく言うと
運転席に座りここを通り過ぎる時
左から ふぉわわぁわぁ〜ん と まぁぁるい直径5メートルくらいの熱気の塊に
私は 体が 左から 
もう一度言う ふぉわわぁわぁ〜ん と
押されるのである。
何だろうぉ!!!!!!!!
この木 ????????????


ふと 思い出した。

宮古島の石に受けた あのエネルギー感覚に似ている。


私は 永井氏に一気にまくし立てた。

「 あの木 何なんですか? 熱いよ! 何か出てるよぉ〜〜。

  何で 何で 何で熱いの????
  ここ何?
  何かあったところなの??? 

  あの木 あれは いったい 何の木? 」


すると 氏は

「 んんん〜〜 っ。あれは・・・。」
と 一拍おいてさらり

「 うんこの木っ^^ 」

「 う・ん・こ の木 ^^! 」

と言う。

「 はァ〜〜〜?? 」

ふ・・・ふ・・・ふざけている。

人が真剣に聞いているのに。

何なの? この人。

さらに涼しい顔をして氏は言う。

「 小さい時から うんこの木って 呼んでいたんです^^! 」


も・・・もしかして
それって・・・

小さい時 夜トイレに行くのが恐くて・・・
ここで×××・・・・・

などという 作家名は忘れたが有名な童話になぞらえて
思いつきで答えたのではないでしょうねェ・・・


思いっきり ムッ とした私の心を読んだのか 

氏は

「 ああー 本当ですよ。

  本当に 小さい頃からそう呼んでいたんですからね。

  それにしても 兎に角 ここを動きなさい。

  その話は 後で。

  ほら 我々の車で道を塞いでしまっていますよ。

  ほらほら 迷惑ですから。

  話は あとあと!! 」と言われ


  『 それもそうだ。』と納得した私は

背丈3メートルくらいの何の変哲もない
そよそよと葉を揺らし黙って立っているその木を
とりあえず 急いで 自分の携帯電話のカメラに納めて
その場を離れることにした。


ここだけの話であるが・・・

驚くことに カメラに納めた木の映像さえも・・・

【 熱い 】のである。


ここを読んだほとんどの方が『 嘘ぉ〜 』と思うだろう・・・

ということを承知で私は書いている。


でも 仕方ない。

本当に 熱いんだから。

今後 私に会った方は 是非
「 尻労の【 うんこの木 】の写真 見せて 」といって欲しい。



そして・・・・・

氏の生まれた村から 少し離れた頃

約束どおり 再び車内はその木の話に戻された。


とりわけ草木に詳しいわけでもない氏は 本当にその木の名前を知らなかった。


桜とか梅とか楠木とかだったら 逆に私が分かっただろう。


熱いエネルギーを持つ というおそろしく大きな特徴を持つ以外は
林にあったら誰も見向きもしないだろう見た限りは 平凡な木である。


氏の話によると この木・・・
じつは 氏が小さい頃 お祭りになると注連縄が掛けられていたそうである。


普段は何気ない顔をしているこの木

神事の際に何かが宿る木 として 昔から大切にされていたという。


氏の母親の実家は 代々村の鎮守を守る役割があり
氏の知る限りその家の とある部屋では
ご神体と呼ばれるものか・・・何かを 大層大切に預かっていたそうである。


その部屋の前にあるのが・・・・

この木である。


木とその守られている何かが どんな関わりを持つのかは
その種の不思議話に 全く興味を持たない氏は知らないと言う。


しかし 車中の氏の四方山話の中にこんな興味深い話が聞けた。


むかし むかしのことである。


氏のお母さんがまだ小さい頃の話である。


村に偉いお坊さんが来たという。


質素な身なりをした物静かなそのお坊さんが
女の子に尋ねたと言う。


女の子は 氏の母親である。


「 村で 困っている人はいませんか? 」と。


外で遊んでいたその女の子が「 知ってるよ。 」と答えると
そのお坊さんは 是非そこへ案内して欲しい 
と頼んだそうである。


お坊さんの願いを快く引き受けた女の子は

村で漁に出て怪我をして働けなくなっているおじさんの家

長年の畑仕事で腰が立たなくなり 寝たきりになっているおばあさんの家などに

お坊さんを案内して回ったという。


少女は 一軒案内する度に菓子銭をもらえるのが嬉しくて
村中の困った人を探しては 案内していた。


やがて 一通り村を回ったところで
お坊さんは少女の手を握り
こころから礼を言い 村を去っていた。


お坊さんが村の人たちに色々な施術をする様子をじっと見ていた少の子は

その後 不思議な経験をしたという。


やけどをした家族の 傷口に触ると
傷が癒えるのがとてもはやくなり 覚悟していた傷跡も綺麗になくなってしまった・・ とか


明後日 隣村から 誰々が来るからうれしいなァ・・・ と言うと
本当に その尋ね人があったり


小さな女の子の不思議は
女の子が やがて 結婚して子供が生まれるまで続いたという。


その女の子に様子や性格がそっくりだと言われて育った氏は


「 むかァ・・・し もう 私が随分大人になってからお袋から聞いたことだから

  どうだか 分からないけれどね・・・ 」と 笑った。


それから ふと 思い出したように 氏は話を続けた。


「 私が こんな変なことになって 何とかしようと慌てていた頃に
  
  藁をもすがる思いで訪ねたある高名なお寺の住職が

 ※ 永井氏は 自分が理解できない能力を持ってしまった出来事を
   ( 詳しくは永井 清物語を参照 )自らは望んでいなかったことであり
    半ば強制的に自分の身に押し付けられたという意味をもって
    【 変なこと 】と表現する。)


  会った途端 何故だか 深々と頭を下げられてビックリしたんだよ・・・。」

続きは こうである。


その住職は お寺を訪ねる客人に頭を下げられても下げる必要のないほど高名な人だったらしい・・・

その方が 紹介者がいたとはいえ ただの一般人である氏に
来訪してからしばらく待たせたことを丁寧に詫びた後
こう言ったそうである。


「 私も 何で貴方様がそんなことになるのかは分かりませんが
  お諦めいただいた方がよろしいかと・・・

  いいえ 決して悪い意味ではないのですよ。

  きっと 何らかの意味があってそうおなりになっているのかと
  お察し致します。

  ところで・・・
  貴方様は・・・・
  どなたかご家系に・・・

  お坊様はいらっしゃいませんか? 」

氏が頭を振ると

「 そうですか・・・ 実は・・・
  貴方はお気付きではなさそうですが
  貴方様の後ろに・・・
  お一人・・・
  お坊様が立っておられます・・・。 

  その・・・お坊様は お寺はお持ちではなかったご様子ですが
  とても立派なお方だったようです・・・ 

  目立たない 静かな お方・・・・」

氏は 

『 凡人のこの私に んな訳ないでしょ。 』と・・・
 

「 はあァ ここでも この私の【 変 】は治らなかったのか・・・ 」

と いつものように ガッカリとした気分で
その有名なお寺を後にしたそうである。


千に一つその住職の言うように
【 見えない後ろのお坊さん 】がいることによって
自分が【 変 】になるのであれば
「 後生です。どうか離れてください。 」と祈るほど・・
当時は 苦しんだ覚えがあると語った。




いつからかあそこに立っているあの木と・・・

氏の母親が少女時代に体験した不思議と・・・・

少女が出会った お坊様と・・・・

氏の後ろにいる? 立派な しかし目立たないお坊さん・・・・

どんな関係があるのか・・・・

はたまた 何が何処まで真実なのか・・・・

検証のしようがない話である。


そんな不思議話に ちょっと興奮気味の私に 氏は

「 これこれ その話は もう そこまで。

  そんなこと突き詰めても 現実界では意味のないことでしょう。

  それよりもあなた 興奮すると運転がメチャメチャになるんだから

  気を付けて下さいよ。 」


「 えっ??? その【 きを付けて 】の【 き 】は
  もしかしてェ・・・
  もしかして・・・
  【 木 】と書いたりしてェ〜〜〜〜!!! 」

と 返した私は・・・・

氏の無反応に・・・

馬鹿なことを言ってしまったァ・・・
と軽く後悔して
しばらく運転に集中することにした。


しかし もしかして 【 神の木 】かもしれないその木を
こともあろうに「 うんこの木 」と呼んでいた氏は
結構 大胆である。

ともあれ この木のことは 未だ 謎のままである。

( ※ 携帯の写真を HPにアップする技をどこかで会得したら
    是非 公開したいと思っている。

    みなさんにも是非 検証していただきたい。)


今 改めて手元にある下北半島の観光案内パンフレットを見ていると

『 下北の何気ない自然の営みが 何処か旅情を誘うのです・・・ 』

               ――― フムフム・・確かにその通りである。

『 本州最北の四季の彩り・・・ 』

――― 春・夏・秋・・・・

               ――― ええっと 秋 でしょ。

               ――― 秋 でしょ。

               ――― 秋

               ――― あれっ? 冬がないじゃない??

そう 下北半島の観光名所は 雪のため 冬には ほぼ閉鎖されるのである。


しかし 唯一 冬の景色で有名なもの・・・と言うと 寒風吹きすさぶ中 たてがみに雪を積み
じっと立つ寒立馬である。

その寒立馬が生息する尻屋崎に 今 私たちは向かっている。


国定公園に指定されている尻屋崎は 昔から難破岬と呼ばれ 明治9年から
船舶の安全を見守り続けているという東北最古の洋式灯台が建っているところである。


氏の故郷尻労から 海沿いの緩やかなカーブの続く道路を30分ぐらい走らせると
遮る物が何も無い緑の草原の向こうに 本州最北端のシンボルタワーとも言える
白亜の尻屋崎灯台が見えてきた。


私たちは 広い丘で伸び伸びと芽吹いたばかりの緑を食む寒立馬を
遠くから眺めて 尻屋崎を後にした。


それから 下北半島を西に横断して 本日の宿をとっているむつ市内に入っていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


高台にある地元の観光ホテルに到着後
私たちはそれぞれの部屋で休息をとることにした。


そして・・・・数時間後
田名部川に夕日が映える頃・・・
夕食をむつ市内の飲食店でとることになった。


ホテルのフロントで 地元の飲食店を紹介したマップを2枚もらって
車の中でそれぞれ広げた。


「 どこに 行きますかねェ・・・。 」


こんな時 永井氏が傍にいると便利である。


「 さっ 永井さん 何処が美味しいか 直感一本勝 ―― 負!! 」


私たちはそれぞれ 手元のマップに集中して
お店の名前を 上から下まで サラサラサラサラリ と 見る(観る)。


「 ん ん 〜〜〜〜・・・ 」私。


「 ・・・・・・ 」永井氏。


沈黙。


もう一度 見る。


沈黙。

匂ってこないのである。


何が?ですか?

それは・・・

美味しい匂いが。

マップから 「 ここ いける 」という匂いが来ないのである。


「 永井さん 無いんでしょ。 」私。

「 そうですね。 」と永井氏。


感じたものは どうやら同じであるようだ。


こういう時 お互いに言葉が少ない。


少なくても 解るからである。


すると 永井氏が 急に言う。


「 行くところ 決めたから
  あなたは まあ 車を市内の繁華街に向けて走らせて下さいな。 」

「 OK 〜 ♪ 」


こういう時の私は素直である。

【 直観力 】という土俵の上では 永井と私とでは
横綱と幕下ほどの差があることを知っているから・・・。

ああ 勿論。

いつか 私も 西の綱取りを目指してはいるが・・・

しかし 幕下は結構気楽でもあるしナァ・・・( 笑 )

それに 兎にも角にも 今はお腹が減っている。

何でも良いから 早く 美味しいものが食べたい!


私は ホテルのある丘から一般道に続く坂道を下り
色とりどりの明かりがちらつき始めたむつ市のネオン街を目指してアクセルを踏んだ。


人口6万人のむつ市である。


世間の帰宅時間と重なったのか やっと すれ違う車が多くなってきた。

三沢空港〜尻屋崎〜むつ市内に入るまでに出会った車の数を全部合算したくらいの車に出会うのに
5分もかからなかった。


「 ワーイ 街だ 街だァ〜! 人がいっぱい居るねぇ〜♪ 」


何だか ほっとしたのとウキウキしたのと 不思議な感覚が私をとりまいた。


「 ところで 永井さん 何処へ行くのですか? 」

改めて 氏に尋ねた。


永井は 

「 ちょっと チャレンジしましょう。
  見つけられるかどうかなァ・・・。 」

と いたずらっぽく呟いた。


チャレンジの内容とはこうである。


実は 私たちは3年前の真冬にも 一度むつ市まで電車で来たことがある。

駅前のタクシーに乗って目的地に向かい 用を済ませ
そのまま同じタクシーに乗っての帰り道 
丁度お昼時だったこともあり 運転手さんに
「 どこか 北の魚で美味しいにぎりを食べさせてくれるところはないか 」と尋ねたところ
ある鮨屋に案内された。


その時に連れて行ってもらった鮨屋を 永井の直観力で探し
もう一度訪ねるというのである。


ただ いくら永井の直観力・・・と言っても
何か一つくらい基礎情報がなくては・・・
一口にむつ市の繁華街と言えども それは広すぎるというもの。


そこで・・・

「 永井さん 場所・・・
  何となく 覚えてるの? 」

「 知らない。 」

「 じゃあ 永井さん・・・
  お店の名前くらい 覚えてるの? 」

「 知ぃーらないっ。 」

「 じゃあ・・・

せめて 周りに何があったとか・・・
覚えてるの? 」

「 うん? う〜ん。( 否定 ) ぜぇ〜んぜん!( きっぱり ) 」

「 普通・・・
  そんなの 無理じゃぁん! 」

「 でも 出来るもん。 」

「 ・・・・・・。 」


子供と話しているみたいだった。


聞くと 手がかりは 3年前 『 ああ 美味しかった! 』と思った
【 おいしい記憶 】だけだそうである。

しかも これで 十分なのだそうである。


その おいしかった3年前の空気を 永井氏の頭の中でもう一度反芻して
迷うことなしに 直線でもう一度尋ねることが出来るかどうか・・・
というゲームである。


しかし 雪国に旅行に行ったことのある方ならばご承知だと思うが・・・
雪の降る町の景色は 雪があるのと無いのとでは まるで違う。


先ず 雪に覆われて 色という色が白に塗り替えられる。
車道に雪の壁が出来て 何処がどの道なのか判別し難くなる。


おまけにその鮨屋の名前すら知らないときている。

私など 永井氏に「 むつ市でお鮨を食べたね 」言われるまで
「ああ 昔 何だか 雪の降るところで 結構美味しいお鮨を食べたなァ・・・ 」


くらいの認識しかない上に
その雪国が 旭川だったのか はたまたこの街だったのかすら・・
全く憶えが無い。


「 ええ〜 永井さんほんとにわかるのぉ〜そんなので・・・。
  大丈夫かなぁ・・・
  わたし・・・
  知らない街の繁華街 ウロウロ運転するのやだよぉ〜。 」


誰よりも永井氏が 『 きっとわかるだろう 』ことを知りながら私は文句を言った。


「 よぉ〜し 見てろっ。 」
声が このゲームは愉快だ と言っている。

そして『 絶対 当ててやるっ! 』と言っていた。


氏が集中している様子が見えたので
私は 言われたとおりにハンドルをきることに専念した。


永井氏は次々と指示を出してくる。

「 ここ 右。 」

「 ん〜〜・・・
  あの信号を左ねェ

  はい しばらく 道なりに走って。

  ここを3軒過ぎて・・・っと 

  はい この橋こえてェ〜

  はい 左!

  でェ・・・

  しばらく いくとぉ・・・・

  おおぉ^^ 近づいてきたぞぉ〜〜 ! 

  来た 来た 来た よぉ〜!!

  はいっ。

  ここで停めてくださァーい。 

  ここが『 目的地でーす。 』!! 」


氏が「 ここに行く 」と決めて ホテルの駐車場を出ておよそ10分。


一つの迷いも無く・・・

確かに 『 H鮨 』と木の看板が掲げられた御鮨屋さんの前に
到着は・・・・した。


しかし 私は このお鮨屋さんが 本当に3年前に来た御鮨屋さんかどうかは
まだ・・・
・・・分からない。


戸惑っている私を尻目に・・・
氏は確信に満ちた表情を浮かべて さっさと車を降りる。


ちょっと背伸びをするポーズをとり
「 アア〜 腹減ったァ〜〜〜 」と左手でお腹をポン!ポン!と叩きながら
右手で暖簾を軽く跳ねあげて店の中に消えて行こう・・・
と・・・
暖簾に頭を半分入れたところで
ふと思い出したように
ちょいと こちらを振り返った。


顔が私に・・・
「 どうだ 村上。これが 俺の実力だ。 」
と 言っていた。


私は 『 まあ それはいいんだけど 本当にこの店かどうか
      まだ確かめてないモンね・・・ 

      まだまだ お見事とは言えないよん。 』と無言で返した。


そして 少しでも ゲームの結果を確かめるべく
急いで車を停めて 氏の後に続いた。


・・・・・・・・・・・

「 へぃ いらっしゃい!! 」

威勢の良い声で出迎えられた。


カウンターに座ると同時に 氏は
馴れた雰囲気で 晴れやかに 店の大将に声を掛けた。

「 どうも こんばんは。

  3年前の1月に 特別にお願いしてにぎってもらった・・・にぎり
  2人前お願いします! 」と。
 

すると・・・

大将も・・・

「 はい。3年前の1月のにぎりですね。 」

と 答えた・・・・

・・・・・・・・。

となると 大将にもビックリ!!だが・・・


大将は・・・

普通 だった。


キョトン「 ? 」とした表情を送ってきた。

無理もない。


余程インパクトがない限り 3年前の一元客を覚えていろ
と言う方が無茶というものである。

永井氏はビジュアル的には 普通のおじさんである。


そこで いつも こういう場面で 私の出番がある。


私は 軽く笑みを見せながら
とっさに氏の腕を チョン!チョン!
と肘で突付いて・・・

「 永井さん 普通に・・・
  ふつぅ〜〜に ・・・ 」
と 囁いた。


すると氏は
「 だってぇ・・・ 俺 覚えてるモン! 」

「 普通 覚えてないのっ。 」

と小声で返すと


『 ああ そっ。 』という表情に変わり

未だ ?顔をしている大将に丁寧に語りかけた。

『 実は 3年前にここを尋ねた時の鮨がとても美味しかったので
  また むつ市を訪ねる機会があったので立ち寄った。

  今は 前回訪れた時と季節が逆なので
  冬に出してくれた美味しいネタを全部揃えるわけにはいかないだろうが
  お腹が減っているので
  ひとつ 美味しい鮨を食べさせてくれないだろうか。 』

 
と 今度は 誰が聞いてもわかるように ちゃんと?説明した。


大将も 理解してくれた。


そして 私たちが3年も前のことを思い出して 再び来店してくれたことを喜ぶ口調で
リクエストを了解したことを伝えてきた。


オーダーが通って ホッとした私は
湯飲みを両手で挟んで飲みながら

改めて・・・

・・・ 店内を ・・・

・・・ ゆっくりと ・・・

・・・ 見回した。 ・・・


          「 あ 」

思い出した。


『 確か 3年前 あそこにストーブがあった! 』


私の場合 1枚の絵が出て来ると
スルスルとそれに連れられて 全ての記憶が甦って来る。


タクシーの中での会話・・・

タクシーから降りて 運転手さんに午後1時半という約束をしてお店の前で
降ろしてもらったこと・・・

その時の 私の服・・・

バッグの種類・・・ 

永井氏のネクタイの色・・・

お店の佇まいに 中の様子・・・

何処に座って・・・

どんな会話をしたか・・・


全部・・・全部・・・
思い出してきた。


そして 全て思い出した暁に 私は思わず 

「 ああああ 思い出したァ〜!
  思い出したよ永井さん! 

  ここだよ この店で間違いない! 」

と 叫んでしまった。


すると今度は 永井氏が 顔色ひとつ変えず
私を見て

「 村上さん。

  普通に・・・

  ふつぅ〜に しなさい。 」

と たしなめた。


確かに この店である。


見事
永井氏は
【 あてた。 】


今考えると 駅とは全く違う方向からこの店を目指してきたわけだから
氏は 通ったことのない道を 右だの左だの言いながらここまで辿り着いた
というわけである。


「 ズバリだね。 」と言うと

氏は
「 だめだめ ちょっとだめ。 」納得がいかない と言う。

私が 
「 なんで? 」と尋ねると

「 完璧じゃないんだよ。 」

「 ? 」

「 お前ね・・・
  俺がここ左 って言った時に
  ぼぉーっとしてて 直進しちゃった とこ あるだろ。 」

( こんな時=自己主張が激しくなる時 氏は やんちゃ坊主言葉遣いになる。 )

      『 た 確かに・・・。

        だ だって どう見たって 左の道見たら狭くって
        曲がったら 行き止まりっぽい感じだったモンね・・・・ 』

と 心で反発した。

すると それを読んだかのように( 実際 読んでいるのであるが )

「 時々 そうやって お前は 俺の言うことを聞かないんだよなぁ・・・ 」
と呟く。


      『 まっ まあ まあ。 』


「 あそこ 曲がっていたら もっと直線距離で来られたんだよなぁ。 」

      『 そっ そうかなぁ・・・〜 』

何でも確かめないと気が済まない私は さっそく氏のいうことが
正しいのかどうか 鮨がくる間に
お店の人に頼んで このあたりの地図を見せてもらった。


「 あああ〜〜〜っ
  た・・・確かに あそこ曲がったら
  直行 ここに来てたよぉ〜! 」


「 だろぉ〜っ? 」と 小鼻を鳴らす永井氏であった。


「 何で?
  
  何で分かったの?ここが。教えて! 」

と 私たちがやり取りしている間に お待ちかねの鮨が来た。


桐の小台に行儀よく並んだ艶やかなにぎりを前に
永井氏が箸を割りながら言った。


「 村上 知りたい? 」

「 知りたい 知りたい。 」

と言うと 氏は 割った箸をテーブルにおいて
先ずは一口ビールを飲み・・・
目の前の鮨に向かって

「 君たちが おいで おいでと誘ってくれたんだよねぇ〜。 」
と言った。

「 んな わけないっしょっ。 」と 私。

すると 

「 匂い だよ。 匂い。 
  村上 お前も いつも言っている に・お・い っ。 」

「  ああ〜〜〜 に・お・い・ね。 」

 ・・・・・・・・・・・ 納得 した。・・・・・・・・・・・ 

私のなぞは この「 に・お・い 」
の一言で【 解けた。 】


皆さんは 「 何で においなの? 」とお思いであろう。

大丈夫。

後で もう少し 詳しく解説する。

その前に ちょっと・・・
目の前の 3年ぶりの北のにぎりを食べさせて欲しい。


私は スッキリした気分で 

「 いっただきまあーす!! 」
と 手を合わせた。

確かに この味には覚えがある。


太平洋と日本海の海流がぶつかる良好な漁場を持つ北の魚介類は 身が引き締まっていて美味である。

それに加えて ここの大将の手の温度は低い。
よって ネタの温度が上がらず 鮮度が落ちることなく
客の前に出てくるから なお美味い。


良い「 味 」の記憶は 良い「 香り( 匂い ) 」の記憶としても残っている。


少し 話題は逸れるが しばし時間をいただきたい。


最後まで読んで頂くと ちゃんと 今問題になっている
「 永井が鮨屋に直線距離で来られたのは【 におい 】がキーワードだった 」
という なぞが解けるようになっているから。


ところで 前文の会話の中で 氏が私に「 お前が いつも においが・・・と言っているだろう・・・ 」
という件があったのを覚えているだろうか?


そう 私は人より嗅覚が鋭い。


いろいろな場面で 良きも悪しきも「 匂い 」で感じとり
どうやら知らず知らずのうちに 匂いを嗅ぎ分けることによって自らの身を守っているようだ。


では 良い あるいは心地よい 匂い または香りとはどんな匂いか?

と・・・
言葉で説明するのはとても難しいのであるが

純真無垢な赤ちゃんは ふんわりとした 甘いミルク石鹸の香りがする。

いいや。赤ちゃんだけではない 赤ちゃんのような心根を持った人も 同じ香りがする。

また 高いエネルギーを持つ土地などに入っても
うっすらと甘く上品な・・・花のような香りがする。


私が 今までで 一番はっきりと認識した場所は 七面宮であり 
山に入りしばらくすると・・・ふんわりと
何とも甘い よい香りがした。

その香りは タクシーの窓を閉めているにもかかわらず
やって来た。


そして 驚くことなかれ・・・
この物語で後ほど訪れるが あの 恐山も・・・
境内の中は 良い香りが漂っていた。

ただし 甘い香りではない。

ここの場所については 後ほど詳しくお話することにしよう。


では 逆は どんな匂いがするの?
と聞かれるだろうが・・・

それは推して測るべしである。


ただし この匂いというもの
人の場合「 お風呂に入っているとかお風呂に入っていないとか 」という問題ではない。


言わば その人物の「 人格の匂い 」とでも言おうか。


実際に 土地・場所・乗り物などの場合も
きれいにお掃除されて周りに何もないのになぜ そんな匂いがくるの? 
ということを 私は何度も経験している。


これまでに 良い匂いも その逆の場合も 

「 ねぇ 今 こんな匂い しない? 」と 周りに確かめてみても

「 べつに。 」と言われ 

あまり しつこく
「 ねぇ ねぇ やっぱり こんな匂いがするよぉ〜 」と 言うと
 
「 ああ また 浩美の匂い過敏症が始まった・・・ 」
と 子供時代から言われてきた私は
ある時から 黙って我慢することにしていた。


どうやらその「 匂い 」・・・
現実には「 匂わない匂い 」である・・・
と いうことが 最近分かった。


それは 永井氏に出会ってからである。


私は 3年前 氏に会って大層安心した。


彼は 私以上に 恐ろしく嗅覚が(も)敏感である。


「 変な子 」と言われてきた私が 自分より「 変 」な人を見つけたからである。( 失敬!! )


その上・・・
彼は単に匂いをキャッチするだけではなく

なんと 信じられないことに 

    【    匂いを 出す  !!!  】

ん・・・

出す・・・
では上手く伝わらない・・・

そう 匂いを【 生む 】ことができるのである。


話はまた少し逸れるが3年前のことである。

永井氏と私は ある方を介して 品川の某ホテルのロビー喫茶で出会った。


仕事の話をして・・・
世間話をしながら・・・
色々な話をするうちに・・・

長い時間をかけて・・・
やっと・・・
私は 永井氏を 
私が幼いころから封印してきていた「 自分の変な感覚 」を言葉にしても
「 おかしな人 」と思われない人だ
ということを理解した。


そんな時 氏と「 におい 」の話になった。

彼は 私とは違い日常生活において匂いに惑わされることはないと言った。

そして その敏感な嗅覚は「超感覚」が表層化しているのであり
さらに 当時ナーバスだった私の意志さえ強くなれば
今は厄介なその感覚も 自分の暮らしの中で自然な形で
プラスのツールとして活用できるのだ
ということを教えてくれた。
 

「 まあ・・・
  私も悩みましたから・・・ 」という氏の言葉のあと


私たちの間には しばらく沈黙が続いた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


すると その場の空気を変えるように
思いついたような口調で 氏が言った。


「 あっ そうだ。

  貴女が匂いに敏感ならば この匂い・・・

  香り分けが出来るはず・・・ 」


と言ったかと思うと おもむろにテーブルの上の紙タオルで 
ゴシゴシ自分の手を拭き始めた。


そして 何度か 右の手のひらを閉じたり開いたりしたあと・・・


両手のひらを組み合わせ
お握りをキュッキュッと握るような手つきをして・・・
最後にふわっと膨らませたその手の形のまま
向かい合わせに座っていた彼の席を離れて
スタスタと私の傍にやって来た。


そして その まあるく閉じられた両手を
私の顔の前で
 

   ・・・・・・・・・ ふぅわぁん ・・・・・・・・・


と広げた。


そして 私の顔を覗き込んで

「 何のにおいだか 判りますか? 」と聞いた。


「 ええ お線香の匂い・・・です。 」


「 そう。 」


「 でも 私 このにおいはちょっと苦手です。 」

と言うと

「 では この匂いは・・・ 」

と 新たなにおいを出して・・・

言い当てると

再び

「 では この匂いは・・・ 」

と 続き・・・

数種類の匂いを【 出して 】きた。


そして・・・満を持したかのように
 
「 では とびきり 良い匂いを・・・ 」

と 言って 出してくれたのが

白檀( ビャクダン )の
うっとりするような どこか懐かしい匂いであった。


   ※ 白檀・・・・インド・インドネシア・マレーシアなどで栽培されている。
            その中でも、インドマイソール地方のものは最高品質で
            「 老山白檀 」と称される。
            薫物だけでなく薬用や工芸品などにも使用される。



このにおいのパフォーマンスの最後に

「 そして・・・
  このにおいで・・・

  お・し・ま・い。 」

と 言って 漂わせたのが 永井氏のにおい・・・

つまり

「 煙草の匂いですね。 」

・・・・・・・・・・・だった。

席に戻った 氏は

「 貴女が 変なら・・・
  ほら 私は もっと変でしょ。 」

と 笑った。

私は

「 ええ。 」と 言いながら

『 この人は どんな人・・・ 』と

これまでになく 読みきれず戸惑った記憶がある。


何より 永井氏の現実的な「 におい=煙草の香り 」はするのだが・・・

先ほど言った 「 人格のにおい 」が
まったく嗅ぎ取れないのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて 話を戻そう。

要するに
においを 【 生む 】 ことができるレベルからすれば
においをキャッチすることなんてわけないということである。

どんなに私が「 嗅覚が鋭いんです 」と言ったとしても
私には ここに「 ない 」においを「 出す 」ことは出来ない。

ならば 鮨屋のにおいは 必ず ここに「 ある 」わけだから
彼にとってそれを探し当てることなどたいした問題ではないというのである。


昨日は土用で 日本各地で鰻が食されたと思うが
普通レベルの嗅覚の持ち主であれば
その日の気象条件にもよるが鰻屋の2、3件手前くらいで 「 いい匂い 」 をキャッチするだろう。

しかし 嗅覚が鋭い人だと100メートル手前でわかる。

その距離をどんどんと延ばしても・・・・

「うん?鰻屋があるぞ」と「わかる」人が
永井氏である・・・ということ。


同様に 3キロ先の 「 3年前に味わった鮨屋のにおい 」も
それを辿っていけば
そこに行ける・・・というわけである。


先日 この部分を 氏にもう少し詳しく取材した。


氏が言葉が少ない人・・・というのは 皆さんご存知のところであるが・・・
こういう 「 超 感覚 」 というのは 持って生まれたものであるから
本人の日常では珍しいものではなく 特に 人とは 「 違う 」 ことを自覚しているわけではない。


だから あらためて 「 その感覚を言葉で説明して下さい 」 と言われても
「ただ 何となく 分かってしまうんです」というのが真に素直な答えなのであるが
これは取り様によっては 少し横柄な印象を持たれたりする可能性があり
そこは困ったところである。


そこを何とか代わりに説明すると・・・こうである。


先ず リラックスした状態で イメージの世界に入る。

そして・・・

「 ああ あの時 あの鮨 美味かったなぁ・・・ 
  もう一度 食べたいなぁ・・・ 」と

あの時の 「 味 におい 」 を 記憶の引き出しから出してきて反芻する。


続いて 今度は 「 よし じゃぁ その店にもう一度 行くぞ! 」 と
強い意志を持つ。


そして 目的意識を明確にしたら
更に 「 絶対何が何でも そこへ行くぞ! 」 と
その目的を 「 叶える 」 ために そこに 「 集中 」 する。


つまり
 
リラックス+強い目的意識+集中力 → 
           対象である事象と互いに引き合う力が発生
                     → 現実化 となる。


それを「 さて 鮨屋は何処でしょう 」というゲームに応用したということ。 


また 氏の場合 「 さあ このにおいを探すぞ 」 というはっきりした目的意識が発動しないと
その「 超感覚 」というもの 日常においては閉じられているようである。


当時 私は その開閉が自由自在ではなかったので苦しんでいたというわけ。


例えれば 寒い北国に育った人の鍛えられた皮膚と 温暖な地に育った人の皮膚の違いのようなもので
日頃から 厳しい北風にさらされている人の毛穴は開閉も俊敏である。


同様に 鋭い感覚を持って生まれたがゆえに「 ぼぉーっ 」と油断をしていると
においを含むいろいろな外からの「刺激」が無選別に入ってくるので
そこから自分の身を守るために 無意識的に意識のスイッチを
「 今は必要 」「 今は要らない 」と オン・オフを自在にコントロールする技を自然に会得した
ということである。


氏はこの点をいつも私に
「 お前は持っている感覚も中途半端だから そこも中途半端なんだよ 」と指摘する。

「 じゃぁ どうすればいいんですか? 

  中途半端な感覚 って言われても
  それは それだけしか持って生まれていないんだから
  仕方ないですよ。 」
と 返すと・・・

「 だから 日ごろから皆さんに言っているでしょ。

  日常生活の時間や生活態度のメリハリをつけるんだよ。

  そうすると その能力ももっと育つし
  必要なときに必要な分だけ作動する「 感覚 」になるんだよ。 」
 

と 指摘されるのであるが

見事に言い当てられているので返す言葉がない。


随分 鮨屋での話が長引いてしまった。


3年ぶりの美味なにぎりに満足した私たちは 
「 ご馳走様 また いつか・・・ 」と言って店を出た。


面白かったのは 店で私たちが
「 3年前に1度来たのであるが 何とかここを探して来た」
という話を聞いていた店の大将が

「 あっ お客さん 運転手さんでしょう!・・・ 」
と 永井氏に語りかけたことである。

氏が 黙ってニコニコしていると
「 ああ――っ そっか。
  バスの運転手さんと ガイドさんだぁ。 」


・・・・・・と いうことになった。


私も あんまりきっぱりと言われるものだから楽しくて
黙ってくすくすと笑っていると

人柄の良さそうな大将は『 大当たりでしょうー。』という晴れやかな声で
さらに続けた。


「 だってぇ〜 お客さんの背広 見たらわかりましたよ〜^^!
  灰色と灰色で それっ 制服でしょっ。 」


青森のイントネーションは人懐っこく響く。


とうとう店を出るまで 私たちは明日葉観光のバスの運転手さんとガイドさんになった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



さて ホテルに帰るまでの道のりは 早かった。

行きに氏の言葉を無視して私が見逃してしまった道を
今度は言われたとおりに走って最短距離で帰着した。


永井氏は・・・と言うと 「 探し当てた 」結果が出た後は
もう 次に興味が移っていた。

帰りの車の中では・・・暗がりの中ガサゴソと落ち着かない様子で・・
ホテルでもらったパンフレットを 表にしたり裏にしたりして
あっちを見たりこっちを見たりしていた。


明るいロビーに入ってから
「 さっきから 何 見てるんですか? 」と聞くと

「 ここがいいね。 」などと パンフレットの一部を小指でポン!とはじいた。


手元を見るとピンクの文字で【 むつ市のナイトスポットご案内 】とある。


氏は 眼鏡の奥の目を細めながら

「 まだ 早いから・・・
  
  ここ 行ってこようかナァ・・・」と言う。


私は 目の前で丁度開いたエレベーターに独り 先に乗り込み
氏の顔の前で車のキーをブラブラさせて


「 はい どうぞ。
  夜は自由行動です。

  歩いて行って下さいねぇー^^。

  その良い鼻で 良い香りのお華をお見つけて下さいませませ! 」

と 言ったところでドアが閉まった。


私は 大事なことを伝えるのをうっかり忘れていたことに気がついて
もう一度・・・
エレベーターのドアを空けて

「 明日 ロビー集合8時で 即 出発ですよ! 」

とだけ言い残し 部屋に戻った。


2度目にエレベーターを開いた時

パンフレットで隠した氏の口元が
「 あっかん べー 」としていたことを思うと・・・・

「 超 能力者 」永井氏も 素顔は「 おじさん 」なのであることが 何だか おかしくて 笑ってしまった。


窓辺に行くと
高台にあるこのホテルの部屋からは
むつの市街地が一望できた。


東京より 光の数はぐっと減るものの

田名部川をはさんで 東西には
控えめな蝶が羽を広げたかのように
街のネオンがきらきらと輝きを放っている。


その 輝きの中に おじさん永井氏が
果たして・・・・
飲み込まれたかどうかは・・・・
定かではない・・・( 笑 )


翌朝も 下北で言うところの「晴れ」だった。

私の故郷 四国では 空に薄いベールがかかったような 晴れ曇り。


隣で何だか さわやかな顔をしている永井氏に

「 こんな空をのぞんで 贅沢を言ってはいけない 」
と言われた。


因みに氏は 昨夜 風邪を引きそうだったので
結局出掛けずに寝たそうである。

「 クシュン“!!」氏が小さくクシャミをした。

ん?あれれれっ?

風邪を引きそうだから出掛けなかったのに・・・・
風邪を引きかけてるのは コレ如何に?


まあ 曖昧もいいだろう・・・・・・( 笑 )


氏は 車に乗り込むとすぐに
「 ヒーターをつけて欲しい 」と言った。



午前8時丁度。


私たちは ナビゲーションにあのマグロ漁で有名な
本州最北端の地 大間崎を入力した。


国道279号線をおよそ48キロの旅である。

ホテルからの坂道を降りて一般道に入り・・・
むつ市の市街を過ぎると

またもや 車に出会わなくなった。

朝早いと言っても もう8時を過ぎたのに・・・

最早 皆 仕事に取り掛かっているのだろうか・・・

人も歩いていない。
まあ 走りやすいから いいかナ・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


しばらくすると 車は なだらかな山際の海岸道路に入っていった。

右手に 津軽海峡夏景色をのぞみながら いくつかの漁村を過ぎて・・・

私たちは むつはまなすラインをひたすら北へと走り続けた。


むつ市の隣 大畑町を過ぎ・・・

井上靖をはじめとする作家たちが津軽海峡をのぞんで執筆したという文豪ゆかりの温泉郷・・・
風間浦村の下風呂( しもふろ )温泉も過ぎて・・・


いよいよ 大間に入ってきた。


大間でもやはり深い色をした緑の林が続く。

と そんな時 永井氏が 急に

「 村上 海が近いよ。次の信号 きっと右。 」
と指示を出してきた。

「 ええぇ〜。信号なんてないよぉ〜。 」

だって ここは まだ 山の中である。

それも 頻繁にハンドルを左右に切り返ししなければいけないような。
 

「 ばかだなぁ お前。
            潮の匂いがするのぉ。 」


海は さっき もうとっくに後ろに消えた。

『 うっそぉ〜〜! 』 私の心の声。

『 におう って 言ったって それ・・・
  過ぎてしまった さっきの海のにおいのなごりじゃないの??? 』

それに・・・

車の窓は ヒーターをかけているくらいだからきっちり閉じられている。

「 フン フムッ 」
小鼻が鳴るくらい 私も におってみた。


が 潮のかおりなんてしない。


運転をしながら 片手で運転席横の窓を下ろしてみた。

すると 途端に氏が

「 ほぉ〜らねっ。 やっぱり海のにおいがするじゃん。 」

  ええ――っつ!しないよぉ〜〜!!

  行く先を見渡しても まだまだ 山の中 林が続く。


「 それに 信号 ないし・・。 」

「 だから言ったろ。
  次の 信号って。
 
  もうすぐ出てくるのっ。 」


窓は開いたまま。

でも においなんて しない。

と 言っているうちに 山道は終わった。

でも・・・・相変わらず 
海は・・・
見えない。


ああっ―――!!
ずぅ―――っと ずずぅ―――っと先に

うっすら信号が見える!!


氏は驚くような様子もなく あたりまえだろう という口調で

「 ああ。

  あそこ 右ね。 」と 言う。

しかし・・・見る限り あそこを曲がっても・・・
林だけど・・・

私は とっさに ナビゲーションの画像地図を見た。

『 そのまま 直進しなさい 』と
ピンクのラインが真っ直ぐのびている。

つまり 『 信号は曲がるな 』と指示が出ている。

音声ガイドに切り替えてみても

「 しばらく 道なりに・・・ 」と 応答する。


そうするうちに・・・・・


信号がきた。

青である。

ゆ〜〜っくり 過ぎる時

・・・・・・・・  右を見た。 ・・・・・・・


やっぱり!!
林に向かって 緩やかな坂道を下るだけ・・・

海のにおいなんて まだ しない。

パッ!!と ナビ画像を見る。

ああ やっぱり
やっぱりピンクのラインは真っ直ぐのびている。

私は とっさに・・・

真っ直ぐを選んだ。

と 永井氏が

「 あああぁ〜〜〜〜 おまえぇ〜〜〜〜〜
  裏切ったなぁ〜〜〜〜。 」

と 愉快に笑った。

私は 「 あらっ?! 間違えたね。 」と トボケた。

裏切っては・・・いない・・・。

はるか宇宙の衛星から飛んでくるデータ(ナビ情報)を
選択したのである。

「 おぼえてろよぉ〜♪ 」と 隣で氏が なぜか愉しそうに騒いでいる。

「 大丈夫ですよ。

  道は繋がっていますから・・・
  最後はちゃんと到着しますって。 

  むらかみにお任せあれ! 」

と おどけて返した。


そんな時 音声ガイドが
「 500メートル先を 右折です。 」
と 明瞭な電子声で言った。


そこからが・・・・
         大変であった。

行けども 行けども 目的地である 大間崎に着かない・・・・

頼りのナビは 大間町役場前にくると さわやかな電子声で
「 目的地 周辺です。

  音声ガイドを 終了します。 」
と 勝手に終わられてしまった。

「 こっ ここからが 知りたいんでしょっ!! 」
私は 音声ガイドに突っ込んだ。

今更 氏に聞くのも癪に障るので・・・
それに 自分で選んだ道であるし・・・

私は できるだけ涼しい顔をして・・・
運転席から見かける標識を食い入るようにチェックしながら・・・

目的地に向かっている振りをしながら・・・
実は・・・

       迷っていた。


同じところをぐるぐる回って30分。

おそろしく静かに・・・
助手席から私の運転を見守っていた氏が とうとう口を開いた。

「 そろそろ 私の出番でしょうかぁ・・・ 」

私は 観念の臍( ホゾ )を決めた。

「 はいっ。
  
       私が わるぅーございましたぁーっ!! 」

その時・・・

ちらりと見た氏の横顔の あの得意げな顔は・・・
今でも忘れられない。


待ってました とばかりに・・・

氏のナビゲートは いつになく優しい口調で やたら丁寧であった。

こんな具合に・・・

「 むらかみさん 次は 左でございます。
  左とはぁ 私の座っている方でございますよ。

  おっと 自転車が通っておりますので
  お気を付け下さいませっ。」


慇懃無礼とはこのことなり。


しかし またもや確かなナビゲートであった。

5分後 ちゃんと着いた。

私が最初に目指していた 

「 こヽ本州最北端の地 」と刻まれた記念碑が立っている
北緯41度33分、東経140度58分
大間町の先端に。

吹く北の地に降り立つと 曇り空の下
白波が絶えることなく立ち上がっている。

大間崎の沖合いおよそ600メートル先に島が見える。

「 弁天島 」という周囲2.7キロメートルの小さな島だが
島には弁財天が祭られ 古くから大間の漁師たちの信仰を集めている。


島には 白黒の縞模様の大間崎灯台が立ち
寒流と黒潮の海流がぶつかり合うこの荒海の安全を見守っている。

島の向こうに うっすらと見えるのが 北海道 函館の渡島連峰である。


大間崎と北海道の戸井町の汐首岬は17.5キロメートルしか離れていない。




ここに石碑がなければ 観光地であることさえも分からないくらいその控えめな佇まいに
この地に住む人たちの人柄をみるようだった。


もちろん十把一絡げには言えないが・・・・


関西人なら きっと・・・
「 最北端饅頭 」をズラリと並べて
「 最北端記念写真はいかがですかぁ〜? 」などと
妙にリアルなマグロのレプリカなんかと一緒に撮影して「 たったの 1000円! 」とか・・・

最北端喫茶「 おおまの人 」に 最北端温泉「 大間の美湯 」
( ※ 文中の固有名詞についてはもちろん架空である・・・念の為。)
などと「 お商売 」を考えるだろうが・・・その 気配はなかった。


ただ 道路をはさんですぐ前の土産物店だけが
籠盛の安価な商品を遠慮がちに店の前に並べ
「 記念にどうですか ――!3つで1000円!! 」などと呼び込みを掛けていた。


しかし そんな土産物を見る観光客の誰もが
被っている帽子を一瞬に吹き飛ばすような強い海風に
しっかりと襟を立て 身をすくめる格好をしていた。

何度も言うが 今は 6月も半ばである。
四国はもちろんのこと 今朝の羽田だって皆半袖の頃なのに・・・
風のある日の下北半島は 本当に・・・肌寒い。


背広を着ている私たちも 土産物を見る観光客と同じように やっぱり寒さに震えた。


デジタルカメラで記念撮影をすませると 急いで車の中に戻った。


そして 続いての目的地である「 恐山 」に向けて
どのコースを走るかを決めるため 膝に簡易MAPを広げた。


話し合いの結果 この際折角だから 下北半島を一周することにして
国道338号線をひたすら走ることにした。


出発に向けてエンジンをかけ 車内も暖まったところで
まずは 海岸美で知られる佐井村に入り
中でも 長い時間をかけて厳しい風雨が作り出したという
奇異な形をした大岩の数々が見られる 仏ヶ浦を目指して車を発進させた。


・・・・・・・・・・・・・・・・


車中での2人の会話は 色々な話に及んだ。


間もなく大間を離れる頃 私は この町の静けさに疑問を呈した。


先ほども言ったが
「 大間町には本州最北端という「 売り 」( =特徴 )があるのだから
  もっと積極的にそれを観光の「 目玉 」として
  それに付随するさまざまな仕掛けで町を活性化できるのに・・・・
  控えめだなぁ・・・・

  どうして もっと その辺りで観光客にお金を落とさせないのかなぁ・・・ 」

と 分かったような口をきいた。


すると 氏が
「 大間の人は 海で勝負してるのっ。
  いつ来るか分からない観光客を相手に勝負してないのっ。 」と言った。


そう。

大間崎は 日本でも屈指の好漁場である。

太平洋と日本海の海流が入り混じり
さらに 函館との間に弁天島があることによって潮の流れが複雑になっていて
この海流に身をもまれた魚は身が引き締まって脂が乗り 最高の味になる。

特に 夏から冬にかけてのマグロ漁は盛んで
記録では400キロを超える超特大マグロもあがることもあるという。


来月の7月には 毎年の行事である「 大間の大漁祈願祭 」が行われ
大間崎の海が 赤や黄色や青のカラフルな大漁旗で埋め尽くされ
漁船が一斉に荒々しい海に景気良く繰り出される・・・

それはそれは とてもダイナミックな祭りが開かれるそうである。


「 日ごろは目立たず地味に居り やるときは ぱあぁ――っ!!と派手に動く!!

  これ 北の人間の美学!! 」と 愉快に笑った。


私は日頃の氏の行動を見ていて それもまんざら嘘ではないような気がしていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


車は大間を完全に抜けて佐井村に入り
仏ヶ浦まで続く24.5kmの海岸線を走りはじめた。


右手に日本海を見ながら ほぼ真っ直ぐに続く海岸ラインを走りながら
ふと 氏にこんな質問をしてみた。


「 永井さん・・・ 下北ってこんなに寒いのに 確か 夏には海水浴して
  遊んだんだよって言ってなかった? 」

「 はい。遊びましたよ。 」

「 でも 寒いよぉ〜。
  今が6月で 7月ったって1ヶ月で急に夏の気温にはならないでしょう〜。 」

「 でも それしか俺らの夏はないからね。 」

そう言われれば そうである。


冬以外の季節を問わず 家の手伝いをしなくても良い時間
氏は 6つ上のお兄さんと一緒に 昨日訪ねた村の海岸によく遊びに行ったそうである。

ウニを採ったり アワビを採ったり 子供が採ったそれらの魚介類に関しては
地元の漁師達は黙って見逃してくれていたらしく 贅沢なことに
彼らはよく それらを「 おやつ 」代わりに食べていたらしい。


太平洋の荒波にもまれたウニやアワビを子供の頃から知る氏の舌は
今でも いわゆる高級料亭に招かれても
「 これは勢いがない(=鮮度が低く 身が引き締まっていない)から・・・」などと
中々「 美味 」サインを出さない。


荒地で寒冷地なので 白いお米を食するには不自由をしたが
幼い頃から 海の幸に関しては「 本物 」を知っている・・・と言う。


村の海岸から坂を駆け上って2分のところに立つ家で・・・

寄せては返す荒波の音を子守唄に育った氏にとって
海は最高の遊び場だった。


ところが その海で起こったこんな失敗談を語り始めた。


氏がまだ子供だった頃 清少年・小学3年生 兄・中学3年生の春。


今日も2人は 複数の仲間たちと小舟で海に出て 海釣りをして遊んでいた。

この時期に狙うのは 丁度 脂がのり始めた樺太鱒(カラフトマス)である。

海に出て 釣ることに夢中になっていた2人は
ひとつの高波に遭遇し ふと・・・我に帰り
はたと 周囲を見渡すと・・・・
仲間の舟と遠く離れてしまっていることに気が付いた。


どうやら自分達の舟だけ少し沖に流されてしまったらしい。

でも 沖に出て来た分・・・今日は大漁である。


2人は 仲間と離れてしまった自分達の舟のことを気にしながらも・・・
「 もうちょっと釣ってから・・・ 」と
お互いに「 戻ろう 」とも言わず「 あと もう少しだけ・・・ 」と
さらに 釣りに没頭してしまった。


と 気が付くと・・・さっきは遠くにでも 見えていた仲間の舟は一艘も見当たらず
それどころか 島さえも見えないところまで流されてしまっていた。


2人の兄弟はさすがに慌てて 暮れ始めた西の太陽に焦りを感じながら
必死でオールを漕いだ。


ところが 漕げども漕げども 一向に岸が見えてこない。


どうやら 釣りに夢中になっている間に 潮の流れが変わってしまっていたようである。


清少年は泣きそうな気持ちになったそうである。


しかし 泣いたら兄に怒られると思い そこはぐっとこらえて
何も考えずに 全身でオールを回転させることに集中した。


と・・・そのころ 岸辺では・・・

永井家の2人兄弟だけが岸に上がってこない・・・
きっと 沖に流されたのだろう

と 騒ぎになり始めていた。


沖に流された兄弟は 互いに何も話さず 黙って力を合わせて舟を漕いでいた。


しかし 見ると 次第に 白波も目立ち始め・・・
2人のこころは不安に波立たずにはいられなかった。


それに・・・さっきから 岸を目指しているはずだが・・・
なぜか 左に・・・左に・・・と あきらかに 流されているようだ。


氏は 一生懸命考えたそうである。


子供心に「 死んだら親に怒られる 」と思い
必死で考えたすえ・・・・

左に流されることを計算して・・・
直線距離の砂地の海岸を狙うのではなく
ゴツゴツした岩場に舟をつけようと。


一見 岩場は舟をつけるのに不適切な場所であるかのようだが
あちらこちらに突出している岩が 逆に波消しの役目をしていて
かえって岩場に飛び込んでしまったほうが 波に飲まれず
早く・・労少なくして岸に着けるのではないか・・・と判断した。


尖った岩が舟底を傷つけ 転覆する恐れもあったが
そこは日頃から慣れ親しんだ海・・・
どこにどんな岩があるのかは
ちゃんと 頭の中に 写真のように記憶ができている。


その記憶の中の地図に従えば ミスはないはず。


記憶には自信があったという清少年は
6つ上の兄に「 岩場に向かおう! 」と提案した。


そうして2人は 岩場を目指した。


波と潮の流れに逆らわず「 岩場を目指して漕いで行く 」ことに決めたら
途端に 舟は今までと違って スイスイと前に進み始めた。


さて・・・
村の消防団が いよいよ2人を探しに船を出し
いざ海へ捜索に出ようとした時・・・


沖のほうに・・・遠く・・・

小船の影が見えた。


永井兄弟である。


舟上の2人も 遠くに岸が見え初め 一層オールを漕ぐ手に力が入った。


それから しばらくして・・・

2人は 砂地である海岸ではなく 清少年の計算どおり 岩場から岸に上がることができた。


陽が 間もなく暮れる・・・という時刻だった。


海岸では 氏の両親はもとより 村の人たちが駆けつけていた。


まともに大人たちの顔が見られない2人。


そんな2人は 真っ先に駆け寄って来た母親から
思いっきり・・・


引っ叩かれた。


「 人に迷惑を掛けるでない 」と・・・一言であった。
母親は涙声だったという。


本当に悪いことをしたと思い
それ以来 一切 舟では海に出ることはなかったという。


たまたま運が良かったので戻ることができたが
北の海は波が荒く 潮の流れが急に変化することもあり
いつ大波におそわれるかもしれない危険な海であるという。


生まれた時から知っている海とは言えども「 慣れ 」は怖いものである。


ちょっとした油断が命取りになる。


氏は「 あの時の【 もうちょっと いいかな・・・えええーい。いいや 】という
    自分の【 甘さ 】が 危険を回避する【 今 帰るべき 】というタイミング( =機会 )を失ったんだよな。 」
と振り返る。



思い出話をする氏の舌は 少し滑らかになっていた。


もうひとつ 海にまつわる話が聞けた。


「 村上 泳げるの? 」

「 泳げるよ。 」

「 ほぉ―――っ!!泳げるのぉ――っ。」

「 ・・・・・。( ムッ )」

「 泳げるって どれくらい? 」

「 そうねェ――。 学校のプールで 50mくらい平泳ぎで^^! 」

「 ぷふっ。 」

「 それは 泳げるとは言わないの。 」

「 そ そうなんだ。。。 」

「 海では どうなの・・・? 」

「 海ですか? 海だと 今は日焼けが何より恐ろしいので・・・
  いやいや水着になるのが人目に迷惑なので・・・・
  まあ^^ でも 浮き輪があれば いくらでも・・・ 」

「 まっ 村上は 北の海では泳げないだろうなっ。 」


そりゃそうである。


先ず こんなに寒い中 泳ぐと凍え死んでしまう。


北の海で泳ぐ彼らは 泳いでいる途中寒くなると
荒波に削られてゴツゴツした岩の上に 海虫のように張り付いて 体を温めるそうである。


「 南のきれいな砂浜でしか泳いだことがない人は
  中々あんな険しい岩場では泳げないんだよ。 」

「 どうして? 」

「 岩場から海に飛び込むことはできても 中々泳ぐのに苦労するし
  何より一番困るのは 泳ぐのを止めようと思っても 上手く岩に上がれないんだよ。 」

「 ???? 」


話はこうである。


白波立つ海に岩場からダイビングして入るのは 勇気さえあれば飛び込める。


しかし 先ほどの「 危うく遭難しかけた小舟 」の話にもあったように
波が荒く潮の流れが速い北の海では 泳ぎながら 波を読み 潮の流れを計算しなければならないのである。


また 体が冷えていざ岩に上がろうとしたとき 上手く波に乗らなければ
ゴツゴツした岩場で腹部を傷つけてしまう。


小波は 体を波間に漂わせ

次の良い波を待つ・・・

中波は 岩場に身体が打ちつけられないように 少し距離をおき

次の良い波を待つ・・・

そして いよいよ 大波が来た時にぃ―――っ!!!

ヒョィッ!と波に体を預け―――っ!!

海水という丁度具合の良い緩衝材で 岩場と腹部が直接接触することなく傷つけることなく
ひゅ――ッ!!
と 波の力を利用して身体を押し上げ

見事 岩場の上に着地する・・・・

という具合である。


「 村上のように ぼぉ――――っ と気楽に生きている人間には 無理ってこと。 」


確かに・・・。

お遊びで泳ぐのに そんなに神経を使うなら 私は村のプールに行くわ。


しかし そう言ったら 「 昔の時代に そんな結構なプールがあるものか 」と言われてしまった。

ならば私は たとえ仲間はずれにされても『 泳がなぁ―――ぃっ!!』と。


海の話題から 少し離れるが

北の家族は 洗濯物だって 今 晴れていたら 今 干さないと
数時間後には 天気が変わってしまうおそれがあるから この瞬間に動かないと大変だ。

私のように 洗濯終了ブザーが鳴っていても
「 ああ――ん。この 映画見てから〜!!(あ・と・で 干そう・・・)」
なんて言っていたら 中々 洗濯物が乾かず どんどんたまる一方である。


だって 明日晴れる保証はないのだから 急がなきゃ!!


漁にしたって 今 凪でいるから 今 漁に出掛ける・・・

畑にしたって 今 晴れているから 今 作業に出掛ける・・・

今 雪が止んでいるから 今 隣の町までお遣いに行く子供たち・・・

今 海が凪いでいるから 今 泳ぎに行く子供たち・・・


みんな「 今 」「 動 」かないと「 生活 」に・・・
あるいは「 生命維持 」に関わるのである。


氏の「 今 と言ったら今なんだよ!!! 」
   「 今と言ったらすぐ動け!!! 」
という意識は ここからきているんだ

という 永井の【 今 即行動 】のルーツを ここに見た。


すごい謎解きができた気分になってしまった私は

「 ねェ ねェ 私の分析 正しいでしょ―――っ!! 」
と得意になっていると

「 理屈が分かっても 行動が伴わなければ意味がない。 」と返され
ぐうの音も出なかった。


ごもっともである。



と・・・長話をしているうちに

車は順調に24.5km進んで
「 仏ヶ浦の観光グラスボートは ⇒ こちらへ 」の 標識が見えて来るところまでやってきていた。


私は森の中に見えた海岸への案内にしたがって 国道338号線を外れて
右の側道にハンドルをきった。


なだらかな山道を5分ほど ゆっくりと下っていくと 山々に囲まれてひっそりと開けた
小さな漁港があった。

午滝漁港である。


午前中の漁は終わったのか 港にはたくさんの船が並んでいた。

静かな 決して広いとは言えない入り江を平面的に見る限りは
何の特徴ももたない 小さな村の 小さな漁港であるが
一度 視線を港から空に向けて辿っていくと

入り江を取り囲む山肌の妙に息を飲む。


この辺りの山は 白緑色の凝灰岩で出来ていてその山肌は脆い。


長い年月の間 日本海から容赦なく吹きつける荒波にさらされた結果
山肌に広範囲にわたって大きな窪みや突起が生まれ
まるで天の鑿(のみ)に削られたかのような美しい天然の造形美が見られるようになった。

   ※ 凝灰岩( ぎょうかいがん )堆積岩( たいせきがん )の一種。
      直径四ミリ以下の火山灰が固まってできた岩石。
      もろいが加工しやすく 建築・土木用石材となる。


入り江をグルッと周った向こう岸には 
100メートルを越すような大岩がそそり立ち 風雨に洗われて白く 眩しく光っている。 

どうやら 奥には洞窟も見える。

入り口に注連縄がかけていることから・・・
何か 村の人たちの信仰の対象になっている様子も伺える。


私は
「 なにか・・・この辺りの奇岩の説明を書いているものはないだろうか・・・ 」と
漁港内を探索して歩いた。


すると 掲示板?のようなものを見つけて 見ると


     観光グラスボート「 夢の海中号 」は こちらへどうぞ!!
     連絡先 п@0175−38−○○○○


と 手書きで書かれた案内ボードであった。


それを見た氏が 

「 日本海の潮風に吹かれながら・・・
  今度は 海側から下北の自然を見るのもまた一興かと・・。 」

と 言ったのと・・・

1日に2回出航されるうちの 午前便のグラスボートが出るまでにあと20分足らずという
丁度良いタイミングだという事が重なって
 
早速 私は書かれていた電話番号にダイヤルしてみた。


「 プルルルルル・・・・ 」

呼び出し音は続いているのだが 中々・・・出ない。


・・・・ チャッ。 ・・・

「 もしもし ○○船舶さんですか? 」

「 あっはっ? あっ そうです。
  はいはい○○船舶ですがぁ・・・。 」

「 ・・・?・・・ 」

何だか・・・
外で洗濯物を干していて 電話が鳴っているのに気付いて
大急ぎで電話のあるところに駆けつけてきたおばちゃん?の空気がする。


・・・ まあいい。 ・・・


私は 手短に
『 今 自分は牛滝漁港にいて 港の張り紙を見て電話をしている。
  是非 そちらの会社の 間もなく出航するグラスボートに乗りたいのだが
  何処で切符を買って 何処で乗船すればいいのかを教えて欲しい。 』

と 伝えた。


それを 聞いたおばちゃん?は とても愛想のよい高音で
『 そこに書いてある時間は目安だから慌てなくても大丈夫。
  特に乗り場は決まっていなくて 船の着いている場所が随時乗り場になっている。

  会社はそこからすぐのところにあるので 迎えに出るから
  その場所で待っていて欲しい。 』

という旨を説明した。

『 乗り場は船の着いているところ???? 』

私は
『 ずいぶん 大雑把な・・良い風に考えると 柔軟な会社?だなぁ・・・。 』

と 思いながら
「 分かりました。 」と答えた。

すると おばちゃんは
『 あっそうそう 聞き忘れたが・・・ 』という感じでこう続けた。

「 ところで お客さん・・ 乗られるお方 全員で何人さんですか? 」

私は「 はい。2人です。 」と 元気よく答えた。

おばちゃんは
「 あっらま そうですか。 」と 言った直後
「 あっらま 忘れていました!
  そうでした。そうそう 今日は船長が 船の会合に出かけていたことを
  すっかり忘れていました。
  あっらぁ〜 ほんとに すみませんねェ〜。申し訳ないですねェ〜。 」
 

私は 吹き出しそうになるのをぐっとこらえて
『 それはとっても残念です・・・』というようなことを言い 電話を切ろうとしたら

おばちゃんは「 また 来てくださいねェ 」と言う。

『 なかなか または来れないけれど・・・』と思いながら
「 はい。 」と答え 電話を切った。

電話をする私から2メートルくらい離れたところで海を見ている氏・・・。

視線を送ったら 今まさにタバコをくわえ 火を点けかけていたところだった。

その手元と口元が笑っていた。

電話のやり取りから 事情を察したのだろう。

私はわざと 大きな声で

「 電話して1分で 船長が出張になっちゃったぁ― !! 」と 笑うと・・

氏の口元がさらに大きく横に広がり危く海にタバコが落っこちそうになった。

まあ 45分間の遊覧が2人で3000円かぁ・・・。

コストパホーマンス上からすると 船が出せないのは分かるけど・・・。

何より 愛想の良いおばちゃんの変わり身に速さが・・面白かった。

氏が「 まあ 船に乗らなくても 目の前にある・・・
     あんな不思議な形をした大岩が いくつもあるところだよ。
     仏ヶ浦は。 」
と 言った。
  

佐井村随一の観光スポット仏ヶ浦は およそ2キロメートルにわたって
時間と自然が刻んできた険しい岩々が連なっており
その個々の奇岩に 人々は
如来の首・五百羅漢・観音岩・十三仏・地蔵堂 等々 仏に因んだ名前をつけ
昔から 人知を超えた自然の成せる技に 人々は 神や仏の存在を意識し
畏敬の念を抱きながら共存してきた地である。


その他 佐井村の海岸線には 2つの巨大な岩が向き合う様を男女が抱き合う姿にみたてた願掛岩もあり 
縁結びの岩として また 山海の幸の豊穣を祈願する場所として大切に守られてきたという。


氏のタバコが終わったところで 私たちは再び車に乗り込み 今日のメイン観光地
「 恐山 」に向かうことにした。


牛滝から下北半島の南の端にある村・・脇野沢村までは
海峡ラインと名前は付くものの海岸線ではなく 再び緑さやかな森林深い山道を通って行った。


脇野沢村は 世界のサル類の分布上で北限地として認知されており
そのため 村のニホンザルは 国の天然記念物に指定されている。


またニホンカモシカの生息も見られるこの村は
今だ動物が棲みやすい自然が残されているところでもある。


氏から そんな観光案内を聞きながら・・・・
時間は ちょうど お昼を迎える頃であった。


「 さて 村上 おなか減った。ラーメン食べますよ。 」と言う。

「 ええ――っ !? ラーメン って・・・・ 」


お腹が減ったは分かりますが ラーメンって限定されても・・・
ちょっと 困ります・・・・という感じだった。


なぜならば ここは さっきの話ではないが・・・
「 シカ注意 」「 サル注意 」の看板が出ているような
山の中の森の中の中 と くどく表現しても良いような本格的な山道である。


そこで 「 ラーメン!!」ときた。


何事の時間も正確な氏のこと・・食事の時間もそれは同じ。

仕事の折など 代謝の関係でお腹が減ったら脳にエネルギー不足が起こり
機嫌が悪くなることを知っている私は
なるべく穏やかな声で

「 はい。あと30分もしたら里に降りると思いますので
  もう少し お待ちいただけますか? 」
と 言いながら


でもなぁ・・・里に降りたからと言って 必ずしもラーメン屋があるとは限らないし・・・
どうしよう・・


と 思っていると 私の心を読んだかのように いや 読んだのであろう

「 あと・・・そうだな・・・
  700メートルくらい行くと・・・
  そうそう この道下ったところに ラーメン屋があるから。
  そこで食べよう。 」

と 微妙な数字を言う。


ちらり とナビゲーションを見ると まだまだ曲がりくねった道が続きますよ・・・
という表示が出ている。


私は 取りあえず「 そうですか・・・。 」と 言うと・・・

歯切れの悪い返事に

「 お前。信じてないなぁ・・・ 」と 言う。


気配で ニヤリとしたのが分かった。

と その言葉で 私は『 はっ 』と気が付いた。

『 まずいっ。 』

何がまずいか と言ったら・・・・

ん?この ケース どこかで経験した!

そう。つい先ほど「 大間崎 迷い道 」の時と同じである。

『 あああ〜〜〜〜 やっぱりィ〜〜〜!!大マズ!!(=大きくまずい の意) 』である。

皆さんのご想像通り 坂道を降りたら平地が開けていた。

優に100台は停められようかという駐車場が広がり 数台の車が見える。

おまけに「 道の駅 わきのさわ 」という 木製の看板に
レストハウスと見られるコテージの赤い屋根も見える。

さらに近付くと 折れ曲がっていた道の影になっていて見えなかった
レストハウスの反対側にもうひとつ看板が・・・

見ると 黄色い字模様に黒ペンキで
「 ラーメン・定食 あります。 」の文字が!!!


工事現場の入り口のようなでこぼこ道の向こうに 剥き出しの砂利がちりばめられた広場があり
その片隅に小さな小屋があった。


軒先には「 らーめん 」と染められた暖簾が ひらひらと風に揺られていた。


言うまでもない 私は その砂利の広場に車を入れた。

車のエンジンを止めてすぐ 今更ながらに氏に聞いた。


「 匂ってたんですよね。 」と。


あとの『 ラーメンの匂いが・・・ 』という言葉は割愛した。


すると 氏はまたもや「 そっ。 」と 一言 言った後

「 ああ 腹減った 腹減った!! 」と 足早に店に向かって歩いていった。

私は 今回の旅で3回・・・「 犬並みの嗅覚 」を確認した。

「 3年前のむつ市の鮨屋はどこに 」そして「 大間崎の潮の香り 」そして最後に
「 山の中のラーメン屋 」でダメだし・・・。


氏から『 一番傍にいるお前が 一番信じてないだろう。 』
という声なき声が聞こえてくるような気がした。(^^゛


ラーメン屋の店先から何だか煙が上がっている。

何かを焼いているようだ。

いいや 何か・・・なんて曖昧な事を書いたが 犬の嗅覚の持ち主にそれは失礼である。

「 魚 焼いてるみたいだね。 」と 私が言うと

流れてくる白い煙をよけながら
「 鰯だね。 」と 氏が言う。

暖簾をくぐる手前 店の脇で 大きな網に行儀よく並べられた小魚が
炭火にかけられ ジュウジュウと音を立てていた。

見ると脂ののった「 カタクチイワシ 」だった。



「 魚の種類まで・・・分かるんですか? 」

と 尋ねると

「 ふふふん・・・ 」と 笑い

「 ま、だいたいね。 」と 言う。


暖簾をくぐると 店の中は 焼いた鰯の匂いがする以外
普通のラーメン屋の佇まいだが 
メニューを見ると極端に種類が少ないので驚いた。


「 支那 ソバ 」と「 焼干しラーメン 」の2つだけ。

透明の下敷きの表と裏に入っているの2つのラーメンの写真は
どう見ても 見た目は同じに見えたのだが・・・
スープの味が違うのかもしれない・・・ということで


氏が「 支那 ソバ 」
私が「 焼干しラーメン 」を それぞれ注文した。


私たちはラーメンがくる間 天気の話など・・・たわいも無い話をしていた。


すると 炊事場の前で 
店のおばちゃんと カウンター席に座るひとりのお客さんと 
先ほど 店の前でねじりタオルを頭に巻きつけ 鰯を焼いていたおじちゃんが
ひそひそ話をしている声が耳に入ってきた。


私は何となく気になり そちらの話に意識を向けた。

どうやら3人で 何かを「 討議? 」しているようだ。


私たちの座った席と調理場が少し離れているからか・・・
声が聴き取り難い。


集中してみる・・・
『 ? あれっ 言葉が聞き取れない。 』

何故 気になるのか・・・と言うと
そのおばちゃんたちの討議の対象が
どうやら私たちのような気がするからだ。


氏との会話もそぞろに おばちゃんたちの話に耳をそばだてて
不思議な顔をしていると・・・


私が何を気にしているのかに気付いた氏が・・
クスクスっ と笑った。

「 村上 分からないよ。耳を大きくしても。 」
と言う。

「 ? 」

「 あれはね 青森弁だから 傍に行って聞いても
  村上はきっと分からないと思うよ。 」

「 ? ああ そう・・・そっか。 」

「 あれはね。教えてやろうか。こう言ってんの。

 『 あの人たち この焼きたての鰯食べるかなぁ・・・
   美味しいんだけど 持って行ってみようか? 』って。

 で おばちゃんが
 『 あの 女の人は食べないかもしれないよ。
   でも 持っていってみたら?』

 と言うと カウンターの客が
 『 ここの鰯は最高なんだから
   観光客なら是非食ってみたほうがいい
   
   持ってけ 持ってけ。 』
 
 って言ってんだよ。
 分かった? 」


「 へェ〜 さすが 青森県人! 」と言うと

さっき 通訳してくれた会話を 少しだけ・・・
青森弁で「 再生 」してくれた。


「 うまぁ〜い!!!」


お金を稼ぐこととその消費に4年間という月日を費やした学生時代
唯一興味を持ったのが「方言学」だった私は
生の東北弁を聞いて感動した。


調子に乗った私は 氏に
「 それでは・・これ『 ○○○○○( ← 会話 )』は
  東北弁でどう言うんですか? 」

・・・と 次々に 青森弁への翻訳を望んだ。


氏は 何故か 声をひそめて翻訳をしてくれた。


と そんな時 ねじりタオルのおじちゃんが私たちの席に近づいてきて 

「 これ 良かったら どうぞ。
  こちらはサービスですから。 」

と 例の 焼きたてのカタクチイワシを持ってきた。

旬の魚の脂が焼けた 香ばしい香りがしていた。

私は 「 おいしそぉ――っ!! ありがとうございます!! 」

と礼を言って器を受け取った。


何より 先ほどの氏の翻訳による「 観光客に美味しい物を是非どうぞ 」
という心遣いが嬉しかった。


程なく 注文したラーメンも運ばれてきた。


「 はい こちらが支那 ソバです。 」

「 はい ありがとうございます。 」と手を上げた氏の目の前に鉢が置かれた。


「 そして こちらが焼干しラーメンです。 」ともうひとつの鉢が 私の前に置かれた。


私たちは それぞれのラーメンの器の中をじっと見比べた。


人の注文したものを自分のそれと見比べることは
とてもはしたない行為だということは
十分に承知しているのだが・・・
実は それには意味があった。


中身が・・・全く・・・同じなのである。

支那竹 のり 山菜 なると ねぎ・・・
その種類
その量
その配列等 

みな同じ!

そうだ。 麺が違うのかも・・・ と思って
さっそく箸で具をよけて 麺を見ても
色も・・・ちぢみ具合も・・・みな同じ!

あっ そうだ。
きっとスープが違うのよ。・・・と思って
お互いのスープを 飲み比べても 味も同じ!

まあ 値段も同じなのだから いいじゃない!

という私の意見が通り

私たちはそれぞれのラーメンを食べはじめた。

食べながら私はふと気がついた。

「 違い・・・見ィ〜つけたっ!! 」

氏が「 ? 」という表情をする。

「 どんぶり・・・・ 」

「 模様が違う 」

「 永井さんの『 支那 ソバ 』の器の柄は ラーメンの幾何学模様でしょ。
  私の『 焼干しラーメン 』の器の柄は 日本の唐草模様〜〜!! 」
  これも立派な 違いです!! 」


永井氏「 ・・・・・・・・・。 」

しばらく 沈黙の後・・・

2人で「 まあ そういうことでオチをつけよう。 」
と ケラケラ 笑った。


この件(くだり)を読んでも・・・

きっと 大半の皆さんは「 つまんない話っ! 」と思うだろう。

しかし 実は・・・
永井の「 能力 OFF時 」の日常の時間は
このような「 つまんない話 」と
「 おっ あの女性 ( ひと・・・時折 おねェちゃん表現もする )  べっぴんだねェ〜 」の種の話に 
満ち満ちている。


その点・・結構 融通がきかない【 堅物 】の私は
最初 氏の「 OFF時の言動 」に 驚き!時折 批判!もしていたが
3年経って・・・

・・・・・・ 慣れた。( 笑 )・・・・・・・


その リラックス=弛緩がないと「 能力 ON時 」の
極度の緊張がほぐせない。

そして 神経が休まらないと 次への瞬発力が養えない。


これは 先日読んだ「 裏側の世界から考察した日本のリーダー達 」にも
どうやら共通する特徴でもあるらしく

日常の他愛ない「 笑い 」は 結構大切である。


おっと 少し話がそれてしまった。

実は この「 ラーメン話 」・・・東京に帰って その後 あることが分かった。


「 何故か山の中で特産 とうたわれた鰯 」と「 焼干しラーメン 」と「 支那 ソバ 」の
因果関係が解明されたのだ。
( ちょっと大袈裟であるが 私の中ではかなりスッキリしたネタだった。 )


村の周囲3分の1を日本海と陸奥湾に囲まれる脇野沢村は
北限のサルやカモシカだけで有名なわけではなく
下北半島の他の村同様 良い漁場に恵まれており 海の幸も豊富である。


中でも 大量に捕れるカタクチイワシは 村の特産品でもあるそうだ。


沢山捕れるので 村の山側まで十分に流通していて
そのまま魚として食べるだけでは全部消費しきれないので
色々と加工して食している・・・ということである。


その加工品のひとつが「 焼干しラーメン 」である。
・・・・・というわけ。


カタクチイワシの焼干しが粉末化されて
スープではなく麺に練りこんであるラーメンが ずばり「 焼干しラーメン 」である。


そして 当然「 支那 ソバ 」は
その カタクチイワシが入っていないものである。


乾燥して粉にして麺に練りこまれたイワシは
においも味もしなかったが
「 支那 ソバ 」と何処が違うか というと
それは「 栄養素 」である。


カルシウムがたっぷり入ったラーメン ということであろう。


ならば 私が注文するより・・・
イライラ永井氏が食したほうがよかったのに・・・なんて
ここに こっそり書いてしまおう。( 冗談 )


さて お腹も満たされたところで いよいよ車は「 恐山 」に向けて走り出した。


恐山までは ナビゲーションシステムの計算によるとおよそ1時間である。


車窓からの景色も 日本海に変わって 今度は 右手に 陸奥湾を眺めながら
国道338号線の穏やかな海岸線を走って行く。


比較的 単調な海岸線を淡々と走るうちに
車は 再び昨日の滞在地むつ市に入った。


そして 間もなく「 恐山 こちら 」の標識にあたり
ナビゲーションシステムの音声ガイドに従うまま 車は 北へ曲がって行った。

 
相変わらず 交通の流れは順調で・・・と言うよりも
それは旅の初めから通して同じではあるが
下北一の観光地に向かいながらも・・・
あまり対向車に出会うこともなく
直ぐに 恐山の山中に入って行くことになった。



ここ恐山は 世は平安時代の貞観4年(863年)

最後の遣唐僧として唐にわたり 日本の天台宗を大成させた高僧として知られる
慈覚大師(794―864・享年71歳)が開山したといわれる山である。


比叡山 高野山と共に日本三大霊場に数えられる。

大師がこのあたりの山中で修行をしている際に
飛んできた一羽の鵜によって導かれた湖を「宇曽利湖(ウソリ・コ)」と名付けたことから

その湖のあるこの山の名も
「 ウソリ ヤマ 」→「ウソレ ヤマ」→「 オソレ ヤマ 」

それがやがて「 恐山 オソレ ザン 」に なったという。


昨日のむつ市のH鮨の大将の話によると

この辺りの山では昔 砂金が採れていたそうで 
民衆が勝手にそれを採掘することを・・・

それこそ「 恐れた 」権力者が
古寺が存在するこの地を
「 あの ウソレ ヤマは 死者の霊が集まる『 オソロシイ 』山だよ。 」
と言い振れ 人々に恐怖心を抱かせ
金が眠るこの山を遠ざけた・・・

という策に因るものではないか・・・
という話も聞こえてきた・・・

が 真実は定かではない。


ただ この「 恐山 」という謎めいた名前の由来に関しては もうひとつ説があり

それは 青森県によく聞かれるアイヌ語に関る由来説で

アイヌ語の「ウッショロ(湾)」あるいは「ウサツオロヌブリ(灰の多く降る山)」
から来ているのではないかという説もある。


ミステリアスな話に あまり興味のない私は
恐山の このような情報についても まったく知らないまま

「 なんか随分怖そうな山の名前だこと・・・

  お化けなんかが出てきたらどうしましょ・・・

  でもまあ 折角来たし 有名な観光地だから行ってみますか・・・ 

  何より いざとなったら コチトラ 陰陽師 永井氏が居るし  怖いことになったら
  全部お願いして『 えいっ! 』て
  片付けてもらえば良いし・・・
 
  よし 行っちゃおう!! 」

というくらいの気持で赴いていた。


しかし 山中に入っていくにしたがって・・・・

そんなお気楽モードで運転している私ではいられなくなってきていた。


身体が・・・・
反応し始めていたのである。


私は あまり自覚のない
「 ちょっとだけ霊感体質なのかしらん?(氏の判断による) 」くらいに 自分を認識しているのだが・・・・


う〜〜ん・・・・。

嫌な気配がするぞぉ・・・・・。


さっきから 足元が さわさわ ゾワゾワ

善からぬ感覚がこみ上げてきている・・・・。


それに・・・・
身体が・・・

嫌だ・・・・熱い・・・・。

この感覚は 危険から「 ガード 」がかかっている時に感じるものである。


例えるならば・・・
傷口から病原菌が入りかけた時 一気に白血球が増えてきて
「 ほら 大変!! 身体に菌を入れてはならじ!!エイサッサッ!! 」と

消毒解毒作用が起こっている・・・という感覚・・・

兎に角 上手く言えないが 自覚外のところで 何かが動き始めた感覚である。


そして この熱さは 間違いなく「 闘う 」熱さである。


『 運転 気を付けなきゃ・・・。 
私は それまで快調に飛ばしていた車の速度を30%ほど落とした。


以上は すべて 私の心の中のやりとりだったのだが
当然 氏もそれには気付いていて

「 村上 安全運転でね。 」と 穏やかに私に念を押した。


外の景色も だんだん 灰色の靄(モヤ)がかかり始め

色で言うならば 散々絵を書いた挙句の 濁った絵の具水に浸けた筆で
緑の森の景色を描いた絵に 上塗りした感じである。


窓を閉めているが 外の空気は湿って重たい・・・・はず。


最も私が 苦手とするシチュエーションである。

たまらなくなって 氏に言う。


村上 「 来ましたねェ・・・。 」
永井 「 そりゃ来るでしょ。 」

・・・・ 少し間が空いて ・・・・

永井 「 日本の三大霊山ですよ。 」

村上 「 似てますね。七面山の24丁目辺りまでの空気と。 」

永井 「 そりゃ 強いところは集まるでしょ。 」

村上 「 さっきから 足がジンジン来ますが・・・ どうしたものかと・・・ 」

永井 「 修行が足りませんねェ・・あなたも ま